昔の歌に見る諺
昔の歌詞に見る諺
このページで取り上げる歌は、おそらく残念ながら音源がなく、「歌詞を読む」形になります。楽譜が読める人なら、口ずさむことはできるかもしれませんが...
しかし、歌詞を読むだけでも、諺のイメージがよく表れていて、参考になります。
「ほら、転がる石だ!」
- Pierre qui roule n'amasse pas mousse.
(転がる石は苔(こけ)を蓄えない、転石(てんせき)苔むさず)
という諺に関連して、第一次世界大戦前後に人気のあったシンガーソングライター、テオドール・ボトレル(Théodore Botrel、1868-1925)の Voilà pierre-qui-roule ! (ほら、転がる石だ!)という歌を取り上げます。
pierre qui roule (転がる石)にハイフンが入っているのは、一語化されているからで、この歌の中では「ホームレス」のような意味で使われています。「ほら、転がる石だ!」というのは、要するに「おい見ろ、ホームレスだぞ!」というような意味です。
この歌は、人々からそのように指差されていた男が、逆に「哀れな金持ち達」を笑いながら自由を謳歌する、いわば「放浪賛歌」のような内容となっています。
画像のあとで、ざっと訳してみます。
I
雇われるのも、法律に縛られるのも望まない俺は、
まっすぐ前に進んでいく。
だって俺には、すり減らない靴があるのだから。
足の皮でできた、すり減らない靴が。
リフレイン
ゲ ロン ラ! ゲ ロン ラ!
ほら、転がる石だ!
ゲ ロン ラ! ゲ ロン ラ!
今後も、ずっと転がり続けるのだろうよ!
II
「決して苔(こけ)を蓄えない」、か。
しかし苔なんて、俺には邪魔なものだ。
だって地平線を追いかける俺にとっては
世界そのものが家なのだから。
III
腹が減ったら、パンの切れ端を
歌というソースにつけて食べるのさ。
そして鳥のように、明るい小川という
酒場で酔っ払うのさ!
IV
朝起きるときには、俺は
ハーブの香りに包まれる。
夜寝るときは、
星に向かって「おやすみ」と言う。
V
そして、金ぴかの服を着た哀れな金持ち達の
身の上を案じて笑うのさ。
金持ち達は、夜、森の中で眠ることなく
死んでいくのだろうなあ。
VI
夜、夢を見ながらさえずる小鳥の歌を
聴かずに死んでいくのだろうなあ。
夜明けの光が、暗い空を照らすのを
一度も見ることなく死んでいくのだろうなあ。
VII
夏の暑さや冬の寒さで苦しまずに
死んでいくのだろうなあ。
でも同時に、自由の陶酔も味わうことなく
死んでいくのだろうなあ!
なお、この諺を題材にした19世紀の挿絵でも、流浪している人が描かれています。
「割れた壺を持った少女」
- Tant va la cruche à l'eau qu'à la fin elle se casse.
(壺を何度も水汲みに持って行くと、ついには割れる)
という諺に関連して、19世紀末にモーリス・ブーケー(Maurice Boukay)が作詩した「割れた壺を持った少女」という歌を取り上げます。
- モーリス・ブーケーというのは政治家モーリス・クイバ(Maurice Couyba, 1866-1931)が詩や歌詞を書くときに使った筆名。ここで取り上げるのは、著名な詩人ポール・ヴェルレーヌ(1844-1896)の序文つきで1892年に刊行された『愛の歌』 (Chansons d'amour) (ここに転載するのはその増補改訂版)に収められた歌です。
歌詞の前に、一枚の挿絵が挟まっています。
壺を割ったくらいで深く嘆き悲しむ必要もなさそうな気もしますが、よく歌詞を読むと、「壺を割る」ことには象徴的な意味が隠されていることがわかります。
画像のあとで、ざっと訳してみます。
楽しそうなマドレーヌは
フードをかぶり
泉に行くのだった、
壺に水を汲むために。
壺に気をつけなさい、マドレーヌ!
壺に気をつけなさい、マドロン!
- 訳注:「マドロン」は「マドレーヌ」の愛称の一つ。原文で語調をよくする(脚韻を踏む)ために一行おきに末尾に「オン」で終わる言葉を持ってくるために使われています。ちなみに、これが「エーヌ」(「エンヌ」)で終わる行と交互に並んでいます。
泉の近くに
美青年がやってきた。
そして彼女に言った、「マドレーヌ、
ぼくはいい歌を知っているんだ」。
歌に気をつけなさい、マドレーヌ!
歌に気をつけなさい、マドロン!
花々や、歌の繰り返し文句が
マドレーヌをうっとりさせた。
けば立った布のスカートが
茂みに引っかかった。
茂みに気をつけなさい、マドレーヌ!
茂みに気をつけなさい、マドロン!
樫の木の下で、男は
フードをむしり取った。
ひるんだマドレーヌは
壺を落とした。
壺に気をつけなさい、マドレーヌ!
壺に気をつけなさい、マドロン!
茫然として、マドレーヌは
家に戻った。
だめになった壺よ、さようなら!
花々よ、歌よ、さようなら!
歌よ、さようなら、マドレーヌ!
歌よ、さようなら、マドロン!
上のように挿絵も入っていますが、この歌はむしろ18世紀の画家グルーズの代表作「割れた壺」(Wikipédia fr. などで閲覧可能)にヒントを得て作られたのではないかという気がします。
- グルーズの「割れた壺」 (La cruche cassée) は、この「壺を何度も水汲みに持って行くと、ついには割れる」という諺を意識したもので、右腕に持った割れた壺、はだけた胸、茫然とした表情などによって、「失われた純潔」を表現していると考えられています(Cf. ルーヴル美術館による解説)。
同じ「割れた壺」という題で似たような絵を描いている画家は他にもおり、いわば「お決まりの画題」となっています。
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