「北鎌フランス語講座 - ことわざ編」では、フランス語の諺の文法や単語の意味、歴史的由来などを詳しく解説します。

北鎌フランス語講座 - ことわざ編 成句

成句

このページは以前は「諺的表現」としていましたが、わかりやすく「成句」に改めました。

成句について

「諺」に似たものに「成句」があり、これも広義の「諺」に含めることがあります(特に、ひと昔前まではそうでした)。両者は次の表のように区別可能です。

フランス語proverbelocution
日本語成句
形式的
区別
「文」になっている「文」になっていない
(熟語表現。動詞なら不定形
Il ne faut pas courir deux lièvres à la fois.
(二兎を追う者は一兎をも得ず)
faire d'une pierre deux coups
(一石二鳥)
特徴に
よる区別
実用的な知恵による教訓・アドバイスとなっている
「結論」が含まれている
比喩的な言い回しによって、ある状況、人、物事を形容するだけである
表現自体に「結論」は含まれていない
諺集への
収録
中世(~15世紀)と現代の諺集では狭義の「諺」のみを収録16~19 世紀の諺集では「成句」も収録されていた

 

  • フランス語では locution(成句)と同じ意味で expression(表現)という言葉もよく使われます。
  • 「諺」と「成句」の区別に関しては、たとえば定番の文法事典 Grevisse, Le bon usage, 15e éd. でも「諺 proverbes は成句 locutions の一種だが、文をなしているものである」(ss 182 b)と定義されており、文になっているかどうかで「諺」と「成句」が区別されています(ただし、とくに日常レベルでは混同も見られます)。
  • 日本では、このように区別することはあまりないかもしれません。フランス語の場合は「主語と動詞を備え、大文字で始まりピリオドで終わるもの」を「文」と呼びますが、日本語ではそのあたりは曖昧で、主語を明示しなくても文は成り立つからです。日本では、「二兎を追う者は一兎をも得ず」も「一石二鳥」も、どちらも「諺」と呼ぶのが当然とされているようです。
  • しかし、より本質的な区別は、上の表の「特徴による区別」の欄に記載した事柄です。たとえば「(~していると)~することになる」というような「結論」が含まれていて「教訓」になっているものが「諺」で、単なる「状況説明」なのが「成句」である、という考え方です。
    この考え方は、Jacques Pineaux, Proverbes et dictons français, PUF, 1956(同書では成句は「諺的表現」expression proverbiale と呼ばれている)およびラルースの諺辞典(同書では成句は「諺的成句」locution proverbiale と呼ばれている)の序文に記載されています。
  • 「諺」と「成句」の区別は流動的な場合もあります。たとえば、courir deux lièvres à la fois(二匹の兎を同時に追う)だと、主語を備えた「文」になっておらず、また状況を比喩的に述べているだけなので「成句」ですが、Il ne faut pas courir deux lièvres à la fois.(二匹の兎を同時に追ってはならない)だと「文」になっており、また教訓・アドバイスになっているので「諺」ということになります。このように、「成句」に Il faut...(~する必要がある)Il ne faut pas...(~してはならない)をつけると「文」になると同時に「すべき」「すべきではない」という価値判断(つまり上の表の「結論」)が加わり、「諺」になるケースもあります。
  • フランスでは「成句」を proverbe と呼ぶことは、ひと昔前までは一般的でしたが、現代では稀になっています(Cf. Anscombre, in La parole exemplaire (2012), p.22)
  • これと並行して、フランスで出た諺集では、少し前までは(16世紀以降、19世紀の Quitard 等に至るまで)、狭義の「諺」だけではなく「成句」も収録するのが一般的でした。日本で出たフランス語の諺集では、例えば田辺 (1976)渡辺・田中 (1977) では「成句」も多数収録されていますが、吉岡 (1976) では狭義の「諺」に絞って集められています。
    本ホームページでは、少数の例外(このページとプチ・ラルースのことわざリストに含まれる幾つかの成句を除けば「一石二鳥」程度)を除き、現在のところ狭義の「諺」のみを取り上げています。
    ちなみに、中世の諺集では、むしろ狭義の「諺」だけが集められています(このことは今まであまり着目されてこなかったように思われます)。16世紀以降に「成句」も含めるようになったのは、私見によればエラスムス『格言集』の影響が大きいと考えられます(諺の歴史に与えたエラスムスの影響は、それほど甚大なものがあったと考えられます)。
    ⇒ 参考:諺集への成句の収録状況について



切手に見る成句

去る 2013年 2月 4日、諺と成句をテーマとした 12 枚セットの記念切手が発行されました。

そのうち、狭義の「諺」は 2 枚だけで、残りの 10 枚は「成句」です。

以下では、切手シートの配列順(フランス郵便局の紹介文での記載順)に取り上げます。

卵を盗む者は牛を盗む

Qui vole un œuf vole un bœuf.
卵を盗む者は牛を盗む

これは狭義の「諺」です。



サーディンのように密着している

être serrés comme des sardines
サーディンのように密着している

【意味】 窮屈で身動きが取れない

【イメージ】 オイルサーディンの缶詰のイメージです。

【使い方】 よく夏の海水浴場や、満員電車などについて使われます。

【似た言葉】 「すし詰め状態」、「立錐の余地がない」



猫が去って、鼠たちが踊る

Le chat parti, les souris dansent.
猫が去って、鼠たちが踊る

これは狭義の「諺」です。



雄鶏からろばに飛び移る

sauter du coq à l'âne
雄鶏からろばに飛び移る

【意味】 話題が脈絡なく急に変わる、話が飛ぶ

【似た言葉】 「支離滅裂」



水の中の魚のように幸福である

être heureux comme un poisson dans l'eau
水の中の魚のように幸福である

【意味】 しっくり馴染んでいる、のびのびしている、生き生きしている

【似た言葉】 「水を得た魚」



陶器の犬のように見つめあう

se regarder en chiens de faïence
陶器の犬のように見つめあう

【意味】(敵意を込めて)冷たく無表情な顔で見つめあう



鰐(わに)の涙を流す

pleurer des larmes de crocodile
鰐(わに)の涙を流す

  • 直訳すると「鰐の涙を泣く」(「生を生きる」のような同語反復の表現)。

【意味】 偽りの涙を流す、うそ泣きをする

【由来】 鰐の眼はいつも潤っているので、泣いているのかと思って同情して近寄った人を食べてしまうというところから。



やぎとキャベツ(の両方)に配慮する

ménager la chèvre et le chou
やぎとキャベツ(の両方)に配慮する

【意味】 「両陣営の間で、どちらの機嫌も損ねずに振舞う」(Rat (2009), p.95)

【由来】 「山羊に十分な餌を与えて飼いつつ、同時に、山羊が一口で食べてしまわないように注意しながらキャベツ(山羊の餌)の世話をする」というところから(Ibid.)。

【似た言葉】 「二股をかける」、「八方美人」

【補足】 「(人は)~することはできない」という言葉を補って On ne peut (pas) ménager la chèvre et le chou. (やぎとキャベツの両方に配慮することはできない→皆を満足させることはできない)と言うと、狭義の「諺」になります。



雌鶏に歯がはえるときに

quand les poules auront des dents
雌鶏(めんどり)に歯がはえるときに

【意味】 「決して(...ない)」と同じ ( = jamais) 。
「実現不可能なことや、決してやって来ないことについて言う」(Rat (2009), p.154)。



それは馬の蹄(ひづめ)の下には見つからない

Cela ne se trouve pas sous les sabots d'un cheval.
それは馬の蹄(ひづめ)の下には見つからない

【意味】 そう簡単には見つからない

  • 文の形になっていますが、実質的には ne pas se trouver sous les sabots d'un cheval という成句です。



蛇を飲み込む

avaler des couleuvres
蛇を飲み込む

【意味】 屈辱を耐える。「抗議せずに侮辱を受ける」(Rat (2009), p.129)。



駝鳥の方針を取る

pratiquer la politique de l'autruche
駝鳥(だちょう)の方針を取る

【意味】 危険を直視しない、現実に目をつぶる

【由来】 駝鳥は敵から逃れられないと悟ると、危険を見ないようにすることで危険から逃れられると考え、砂の中に頭をうずめる、とされることから。

【英語】 英語にも ostrich sticking its head in the sand (砂の中に頭を突き立てる駝鳥)という表現があるようです。

【イメージが似た言葉】 「頭隠して尻隠さず」



クロモに見る成句

「クロモ」とは、20 世紀初頭前後を中心に盛んに作られた、主にお菓子メーカーによる子供向けの小さなカードのことです。

  • ここで取り上げるのは、19世紀にエミール・ファリエール(Emile Falières)という薬剤師がリン酸(phosphates)を摂取することの重要性を説いて作った、フォスファティーヌ・ファリエール(Phosphatine Falières)という名の怪しげな幼児向け栄養補助食品(この製品自体は現在は作られていませんが昔の広告などは多数残っています)の「クロモ」です。

以下では locutions proverbiales(諺的成句)シリーズの中から、有名な「成句」を取り上げてみます。

スペインに城(を造る、を築く)

châteaux en Espagne
スペインに城(を築く)

  • 普通は動詞 bâtir, faire と組み合わせ、bâtir des châteaux en Espagne(スペインに城を築く)、faire des châteaux en Espagne(スペインに城を造る)と言います。
    上の絵では châteaux の â にアクサンシルコンフレクスがついていません(綴りミスです)。

【意味】 「空想の中で、実現不可能な計画を立てる」

【似た表現】 「空中楼閣(砂上の楼閣)」、「絵に描いた餅」



猿のお金(で支払う)

monnaie de singe
猿のお金(で支払う)

  • 普通は動詞 payer と組み合わせ、payer en monnaie de singe (猿のお金で支払う)と言います。

【意味】 「ごまかして支払わない」、「支払う代わりに馬鹿にする」

【由来】 昔、パリのセーヌ川の中洲にあるノートルダム島(現在のサンルイ島の前身)にかかる橋を渡るためには、通行税が必要でした。しかし、猿回しの一座は、猿の芸を見せれば通行税を納めなくてよいという特権が与えられていたことが中世の記録に残っています。

上の絵で、橋の向こうに描かれているのは、ノートルダム大聖堂です。



パニュルジュの羊

moutons de Panurge
パニュルジュの羊

【意味】 「他の人々を模倣し、追従しようとする人々」

【由来】 ラブレー『第四之書』第 8 章に出てくる話に由来します。羊は他の羊のあとについていくという性質を利用して、パニュルジュという登場人物が羊商人に仕返しをするために羊を一匹買い上げ、船から海の中に投げ落とすと、それに続いて他の羊も全部海に落ちて溺れてしまった、という話です(渡辺一夫訳、岩波文庫 p.82)。

【似た表現】 「付和雷同」



斧槍(おのやり)が落ちる

tomber des hallebardes
斧槍(おのやり)が落ちる

  • 普通は非人称の Il を使って Il tombe des hallebardes.(斧槍が落ちる)または Il pleut des hallebardes.(斧槍〔の雨〕が降る)といいます。

【意味】 「どしゃ降りの雨だ」



画像の説明

sur l'air des lampions
ランプの調子で

【意味】 「(デモのときに、主に 3 拍子で)拍子を取りながら」

【由来】 1848 年の革命でルイ・フィリップが追放されたとき、労働者階級の人々は窓にランプ(明かり)をともして喜びを示したが、ブルジョワ階級の人々は明かりをともすのをためらったため、労働者が「明かりをつけろ!」という意味で「デ・ラン・ピヨン!、デ・ラン・ピヨン!」(日本語だと「ラ・ン・プ!、ラ・ン・プ!」)と拍子を取りながら叫んでデモをしたことから。



通りに面して切妻壁を持つ

avoir pignon sur rue
通りに面して切妻壁を持つ

  • 「pignon」(切妻壁)とは、家を正面から見たときに、家の上部の、屋根で形作られる三角形の部分の壁のこと。

【意味】 「通りに面して家や店舗を所有する」というところから、「資産家で社会的地位が高い」、または「ある分野で名声を得ている」



 その他の成句

tirer les marrons du feu

【訳】 「火中の栗を拾う」

直訳すると「火から栗を抜き取る」。

日本の「火中の栗を拾う」の元になった表現です。

【由来】 ラ・フォンテーヌ『寓話』第9巻(1678年刊)第17話「猿と猫」Le Singe et le Chat で有名になった表現です。これはざっと次のような話です。

  • あるとき、暖炉で焼ける栗を見ていた猿は、猫をおだてて、栗を拾ってもらうことにした。猫は熱い火の中に脚を伸ばして苦労して栗を拾うが、片っ端から猿が食べてしまい、猫は一つも食べることができないまま、女中に見つかって二匹とも逃げた。

つまり、「猫=危険をおかす人」、「猿=自分だけ得をする人」です。

この「猿と猫」の話で、問題の表現が出てくる箇所を引用し、私なりに訳をつけてみます。

  • Bertrand dit à Raton : « Frère, il faut aujourd'hui
    Que tu fasses un coup de maître.
    Tire-moi ces marrons. Si Dieu m'avait fait naître
    Propre à tirer marrons du feu,
    Certes marrons verraient beau jeu. »

  • 〔猿の〕ベルトランは〔猫の〕ラトンに言った。「兄弟よ、今日は君が
    大御所の腕前を見せてくれないと駄目だよ。
    あの栗を私のために抜き取ってくれ。もし神様が私を
    火から栗を抜き取るのに適したように作ってくださっていたなら、
    たしかに、栗は鮮やかな手つきを眺められただろうがな。」

    訳注:栗が「鮮やかな手つきを眺め」るとは、鮮やかな手つきで栗を抜き取る、という意味。ここは条件法(非現実の仮定)を使って書かれており、maître, naître ; feu, jeu で脚韻が踏まれています。

ただし、ラ・フォンテーヌよりも以前からこの表現は存在していたことが確認されます。

  • ラ・フォンテーヌ『寓話』の普及版の注でも、「『猿のようにする』、『猫の脚を使って火から栗を抜きとる』という表現は、当時よく知られた言いまわしであった」(La Fontaine, Fables, Le Livre de Poche, Librairie Générale Française, 2002, p.492)と書かれています。

たとえば、1640年のウーダン『フランス奇言集』には tirer les marrons du feu avec la patte du chat (猫の脚を使って火から栗を抜き取る)が「他人を使って危険や損害から(うまく)切り抜けること」という意味だと書かれていますOudin, Curiositez françoises, 1640, p.334

また、1655年のモリエールの喜劇『粗忽者』第3幕第5景(校本によっては第6景)でも「濡れ手で粟」のような意味で使われています。

ただし、ことわざの意味は時代とともに変化しています。

【意味の変化】 1)昔は、「猫の脚を使って火から栗を抜きとる」tirer les marrons du feu avec la patte du chat というのは「危険があり、自分ではやりたくないことを他人にやらせる」アカデミー辞典、第1~8版、s.v. chat, marron, tirer)という意味だったようです。「猿が猫を使ってうまいことやらせる」というイメージです。
要するに、猿の視点から見て「他人を危険な目にあわせておいて、自分だけが得をする」という意味です。
19世紀のリトレでもこれと同じような定義がされています。
ただし、現在ではこの 1) の意味は忘れ去られており、歴史的な意味として、とりあえず除外して考えることもできます。

2)時代とともに avec la patte du chat(猫の脚を使って)という部分は省略するようになり、tirer les marrons du feu(火から栗を抜きとる)だけを使って、「自分は得をすることなく、他人のために困難な危険なことをする」アカデミー辞典、第8版、s.v. tirer)という意味も生まれるようになったようです。
要するに、猫の視点から見て「他人のために危険をおかして、ばかを見る」、「せっかく危険をおかしたのに、他人だけが得をする」という意味です。
ロベールの諺辞典Rey/Chantreau, p.585)では、これが tirer les marrons du feu の本来の意味だとされています。次の 3) の意味を「誤用」とする人々に言わせれば、これが正しい意味ということになります。

3)さらに、現代のフランスでは、もう猿も猫も関係なく(どちらかというと猿の視点から見ているともいえますが、もう猿と猫の役割分担が消え、両者が混同されて)、単に「危機的な状況や不利な状況(=火)を利用して、まんまと利益(=栗)を得る」という意味でもよく使われるようになっています『ディコ仏和辞典』 ; Rey/Chantreau, p.585 ; wiktionary 等で言及)。ただし、これは誤用(誤った使い方)だとする人々もいます。

上の 1)と 3)の意味の場合、日本の「濡れ手で粟(あわ)」(=労せずに利益を得る)や、場合によっては「漁夫の利(漁父の利)」に近い意味になります。

【使用例】実際の日常会話での使用例については、こちらの本をご覧ください。

【日本での使い方】 この「火中の栗を拾う」は「日本には明治後期に入ったものと思われる」(『故事俗信ことわざ大辞典 第二版』)ようですが、日本では少し使い方が異なり、「危険を承知で、あえて問題の処理や責任ある立場を引き受ける」(同)という意味でも使われます。
フランスの「猫」の場合は、猿の悪知恵を見抜けずに、おだてられ、いいように使われて「ばかを見る」単なるお人よし(または間抜け者)ですが、この日本特有の使い方だと、危険や不利であることを十分に認識・承知したうえで、あえて一種の自己犠牲の精神に基づいて行動するようなニュアンスが感じられます。この「不利だと自覚しつつ、あえて困難に取り組む」という感じは、フランス語の表現には(昔も今も)存在しないずです。

いずれにせよ、フランスでも日本でも「本来の意味」から「逸脱」した意味で使われるようになっており、しかもフランスと日本では違うふうに逸脱しているところが興味深いところです。

【単語の意味と文法】 「tirer」は「抜く、抜き取る」。この動詞は典型的には、

  • tirer A de B
    B から A を抜き取る

という使い方をします。ここでは、A に相当するのが「les marrons」(栗)、B に相当するのが(「du」は前置詞 de と定冠詞 le の縮約形なので、このうち de を除いた)「le feu」(火)。つまり、直訳すると「火から栗を抜き取る」。

【余談】 フランスでも昔から「焼き栗」(marrons chauds)が食されています。
「焼き栗、熱いよ!」(Chauds, les marrons ! )という掛け声とともに、街角で売るのが伝統的なスタイルだったようです(日本の石焼きいものようなもの)。



deux (trois) têtes dans un bonnet

【逐語訳】 「一つの縁なし帽に二つの(三つの)頭」

【意味】 「一心同体の二人組(三人組)」
または(悪い意味で)「同じ穴のむじな」

主に「二つの頭」という場合と「三つの頭」という場合があり、次のように色々な表現をします。

  • deux (trois) têtes dans (sous) un (un même, le même) bonnet
    一つの(同じ)縁なし帽の中の(の下の)二つの(三つの)頭

【由来】 中世から使われていた表現で、古くは「縁なし帽」ではなく「頭巾」を使い、deux (trois) têtes en un chaperon (一つの頭巾に二つの(三つの)頭)と言っていました。

すでに13世紀後半の『薔薇物語』後篇で、「ひとつの頭巾に頭がふたつ入っているように見えるのだった」という表現が使われています(訳は篠田勝英訳、ちくま文庫『薔薇物語』上巻 p.504による)。この箇所は「ベギン会修道女と托鉢修道会士の間に一種の共犯関係があった」(Ibid, 注119)ことを示しているとされており、この表現はどちらかというと悪いイメージを伴う余地が最初からあったように思われます。

この表現は昔は非常に有名で、16世紀初頭に彫られたアミアン大聖堂の聖職者席の彫刻(絵葉書のページ)でも、「一つの頭巾に二つの頭」のモチーフが用いられています。

17世紀中頃のジャック・ラニエの『著名なことわざ選集』には、「一つの頭巾に多くの頭」を描いた版画があります。

1690年のフュルチエールの辞典では、当時すでに「頭巾」 (chaperon) を着用する習慣がなくなっていたため、昔は「一つの『頭巾』に三つの頭」という言い方をしたが、今では「一つの『縁なし帽』に三つの頭」という言い方をする、と書かれています。

アカデミー辞典』では、第1版(1694)~第9版(1992)まで「一つの縁なし帽に二つの(三つの)頭」という形で収録され、「友情または利益で結ばれ、つねに同じ意見、同じ考えをする二人(三人)」という意味だと説明されています。
友情で結ばれているなら単に「仲よし」のイメージになりますが、利益で結ばれている場合には、結託して「ぐる」になっている、悪いイメージを伴いやすい気がします。

1808年に出た俗語辞典(D'Hautel (1808), vol.1, p.107)では、はっきりと悪い意味で使うこともあると書かれています。

  • 「あれは一つの縁なし帽に三つの頭だ」。これは、仲がよく、いつも同じ意見の 3人について言う。また悪い意味で、ぐるになっている 3人について言うこともある。

1845年刊の『百の諺』の作者名(ペンネーム)にも、この成句が採用されています。







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