ケ・セラ・セラ
フランス語版「ケ・セラ・セラ」
1956年のヒッチコックの映画『知りすぎていた男』の中で歌手ドリス・デイが「ケ・セラ・セラ (Que sera sera)」を歌い(その場面は YouTube で視聴可能)、この曲が世界的に大ヒットしましたが、そのフランス語版の「ケ・セラ・セラ」の歌詞と訳・解説をこのページに掲載しておきます。英語の歌詞とは内容が異なります。
このフランス語版の歌では、繰り返し部分の最後にフランス語の諺が出てきます。
日本語訳は、元のフランス語が理解しやすくなるよう、わざと少し直訳調にした部分があります。
2015/3/12 他のページと整理統合しました
以下、原文と日本語訳は太字にしました。
1 番の歌詞と日本語訳・解説
Dans le berceau d'un vieux château
Une promesse vient d'arriver
Une princesse toute étonnée
A qui l'on vient chanter :
古い城の揺りかごの中で
ある予兆が生まれた。
とても驚いたお姫様、
そのお姫様に、人々が歌いにやって来た。
- 1~2 行目:
「Dans」は前置詞で「~の中で」。「berceau」は男性名詞で「揺りかご」。
「vieux」は形容詞で「古い」。「château」は男性名詞で「城」
「promesse」は女性名詞で「約束、予兆・きざし」。
「vient」は venir (来る)の現在(3人称単数)。「venir de + 不定詞」で「近接過去」を表します。
「arriver」は自動詞で、「到着する」という意味もありますが、ここでは「(出来事が)起こる」。「生まれる」と言っても同じです。
「揺りかごの中で予兆が生まれた」というのは、論理的に考えると少し無理のある、わかりにくい表現ですが、「揺りかご」は赤ん坊のイメージと切り離せないので、おそらくお姫様が身ごもって、子供が生まれる予兆が見られたということだと想像されます。- 3~4 行目:
「princesse」は「お姫様」。
「toute」は tout の女性単数形。ここでは「すべての」という意味の形容詞ではなく、副詞で「まったく、とても」(très と同じ意味)。副詞ですが、女性形容詞の前では性・数の一致をします(辞書で tout を引くと記載されています)。
「qui」は、いわゆる「前置詞つき関係代名詞」(文法編の(6)前置詞 + qui に該当)。
「Une princesse toute étonnée」が先行詞で、大きく見ると動詞がありません(文になっていません)。
「l'on」の l' は語調を整えるためのもので、意味はありません。
venir + inf. は「~しに来る」。「chanter」は「歌う」。
突然妊娠して当惑するお姫様に、誰かが次のせりふを言ったのでしょう。
Que sera sera
Demain n'est jamais bien loin
Laissons l'avenir, venir
Que sera sera
Qui vivra, verra
ケ・セラ・セラ(なるようになりますよ)
明日は決してそれほど遠いものではありません
未来が来るにまかせましょう
ケ・セラ・セラ(なるようになりますよ)
生きていればわかりますよ
- 1 行目:
「Que sera sera.(ケ・セラ・セラ)」は、「なるようになる」という意味のスペイン語(もどき)です。Wikipedia 英語版によると、もともと16世紀にイギリス人貴族がモットー(紋章の銘)とするために(What will be will be. という意味にするつもりで)作った不正確なイタリア語の言葉に由来し、これがのちにスペイン語風の綴りに置き換えられたようです。
たまたま「Que」も「sera」も、フランス語で同じ綴りになる単語がありますが、このような「Que」の使い方は存在しないので、もちろんこれはフランス語ではありません。ただ、スペイン語として見た場合でも、文法的には問題があり、スペイン語の関係代名詞 que は英語の what のような先行詞を含む用法はないため、正しくはフランス語の ce に相当する先行詞 lo をつけて「Lo que será, será.」とすべきところです(「será」はフランス語の être に相当する動詞 ser の未来形)。スペイン語では「Que」にアクセント記号をつけて Qué とすると疑問詞になってしまうので、関係代名詞と受け取るならここはアクセントをつけずに「Que será será.」とするのが正しい綴りですが、実際には「Qué será será」、「Que sera sera」など、さまざまに表記されます(もともとスペイン語としても文法的に正しくない言葉なので、綴りの正しさを追求するのは無意味なことではあります)。
ドリス・デイが歌う英語の歌の中では、このスペイン語(もどき)の英訳のような形で、What will be will be.(直訳すると「あるであろうことがあるであろう」)という英語が出てきます。これをフランス語に逐語訳すると Ce qui sera, sera.(「sera」は être(~である、存在する)の単純未来3人称単数)となるはずですが、フランス語版の歌ではこのように逐語訳されてはおらず、代わりに意訳として 5 行目のことわざ Qui vivra verra. が出てきます。- 2~3 行目:
「Demain(明日)」は名詞で、主語になっています。「ne... jamais」は「決して... ない」。「bien」は副詞で「とても、たいへん」という強調の意味ですが、否定文中なので「それほどは」という感じになります。「loin」は「遠い」。要するに「すぐに明日がやって来る」というような意味です。
「Laissons」は laisser(~させる、~するにまかせる)。英語の let に相当する「放任」を意味する一種の使役動詞です。使役動詞の後ろには不定詞がくるので、「venir」は不定詞になっています。
「avenir(未来)」と「venir(来る)」が韻を踏んでいます。- 5 行目:
諺 Qui vivra verra.(生きている者はわかるだろう)の解説を参照してください。
あたかも「Que sera sera」という言葉の訳であるかのようにして「Qui vivra, verra」が出てくるため、この諺は「ケ・セラ・セラ」のイメージが切り離せないものとなっているようです。
2 番の歌詞と日本語訳・解説
On vit grandir et puis rêver
La jeune fille qui demandait :
"Dis-moi mamie si j'aimerai"
Et sa maman disait :
女の子が成長し、ついで夢見るのを
人々は目にした。女の子は尋ねるのだった、
「ねえ、ママ、私も(誰かを)愛するようになるのかしら」
すると彼女のお母さんは(次のように)言うのだった。
- 1 番とのつながりでいうと、お姫様から生まれた子(女の子)が、口がきけるくらいの年になった頃の話という設定です。とすると、その母親は 1 番に出てきた「お姫様」になります。
- 1~2 行目:
「vit」は voir (見る)の単純過去(3人称単数)。voir (見る)は、英語の see と同様、後ろに不定詞がくると、「〔他の人が〕~するのを見る」という「知覚動詞」となります。ここは「grandir (成長する)」と「rêver (夢見る)」が不定詞で、この 2 つの動詞の意味上の主語が「la jeune fille (若い娘、つまり女の子)」なので、「On vit grandir et puis rêver la jeune fille」を直訳すると「人は女の子が成長して、ついで夢見るのを見た」となります。
これに関係代名詞「qui」がかかっています。
「demandait」は他動詞 demander (尋ねる)の直説法半過去(3人称単数)。物語風に、情景描写をする感じなので、半過去が使われています。「demandait」の直接目的が、次のカッコ内のせりふ全体です。- 3~4 行目:
「Dis」は dire (言う)の現在(2人称単数)と同じ形ですが、ここは主語がないので命令形。
「moi」は強勢形。命令文では、このように 1 人称・2 人称の人称代名詞は動詞の後ろにハイフンをつけ、強勢形にします。
「mamie」は、ここでは英語の mammy (ママ)をフランス語風の綴りにしたもの。
「si」は「もし」ではなく、ここでは「...かどうか」。
「aimerai」は他動詞 aimer (愛する)の単純未来(1人称単数)。
他動詞なのに、直接目的(「誰を」に相当する言葉)が例外的に省略されています。
「Dis-moi si j'aimerai」だけを直訳すると「私が愛するようになるかどうかを私に言ってくれ」となります。
「disait」は dire (言う)の半過去(3人称単数)。
Que sera sera
Demain n'est jamais bien loin
Laissons l'avenir, venir
Que sera sera
Qui vivra, verra
ケ・セラ・セラ(なるようになるわ)
明日は決してそれほど遠いものではありません
未来が来るにまかせましょう
ケ・セラ・セラ(なるようになるわ)
生きていればわかるわよ
- この繰り返し部分の説明については上記を参照。
3 番の歌詞と日本語訳・解説
Quand vint l'amant de ses amours
La demoiselle lui demanda :
"M'es-tu fidèle jusqu'à toujours ?"
Et le garçon chanta :
彼女の愛する人がやって来たとき、
お嬢さんは彼に尋ねた、
「いつまでも私だけを好きでいてくれる?」
すると男は(次のように)歌った。
- 2 番で出てきた「女の子」が年頃になった頃の話という設定だと思われます。
- 1~2 行目:
「Quand」は接続詞で「...とき」。
「vint」は venir (来る)の単純過去。その主語が「l'amant de ses amours」なので、ここは倒置になっています。動詞に比べて主語が長いから倒置になっているといえます。
「amant」は普通は「愛人」ですが、ここは少し古めかしく「恋人」。
「amour」は男性名詞で「愛」。
「l'amant de ses amours」は、直訳すると「自分の愛の恋人」ですが、歌で語調をよくするために結果的に同語反復になっていると思われます。「自分の愛する恋人」くらいの感じでしょう。
「demoiselle」は「お嬢さん」。
「demanda」は demander (尋ねる)の単純過去(3人称単数)。第 1 群規則動詞なので、単純過去は a 型の活用になります。- 3~4 行目:
3 行目の「M'es-tu fidèle jusqu'à toujours ?」は、「oui か non を問う疑問文」のうち、「1. 主語が代名詞の場合」の倒置による疑問文です。
「Est-ce que」を使って倒置でなくすと、次のようになります。
Est-ce que tu m'es fidèle jusqu'à toujours ?
「es」は être (~である)の現在(2人称単数)。
「fidèle」は形容詞で「忠実な」。つまり裏切らない、ずっと一人の人を愛し続ける、という意味です。この形容詞は、基本的には前置詞 à を伴って、「fidèle à ~ (~に忠実な)」という使い方をします。ただ、「前置詞 à + 人」は、代名詞に置き換わると間接目的一語になり、 à は消えるという規則があるので、ここでは「m'」という間接目的一語に置き換わっています。
「jusqu'à ~」は「~まで」。「toujours」は副詞で「ずっと」。
日本語で「ずっとまで」というのは変な表現ですが、フランス語の「jusqu'à toujours」も少し変な表現であり、本来なら「toujours (ずっと)」一語でよいはずです。このあたりは、会話的な感じがします。
「garçon」は「男の子」という意味もありますが、それよりも範囲が広く、若い男も指します。
「chanta」は chanter (歌う)の単純過去(3人称単数)。
Que sera sera
Demain n'est jamais bien loin
Laissons l'avenir, venir
Que sera sera
Qui vivra, verra
ケ・セラ・セラ(なるようになるさ)
明日は決してそれほど遠いものではない
未来が来るにまかせよう
ケ・セラ・セラ(なるようになるさ)
生きていればわかるさ
- この繰り返し部分の説明については上記を参照。
4 番の歌詞と日本語訳・解説
Quand elle chante à son enfant
Dans un sourire, cet air charmant
C'est pour lui dire que dans la vie
Rien n'est jamais fini
彼女は微笑みながら自分の子供に
この魅力的な曲を歌ったが、
それは人生には終わりがない
ということを言うためであった。
- この「彼女」が誰を指すのかは、あまり明確ではありませんが、2 番で出てきた母親と同じかもしれません。
- 1~2 行目:
chanter (歌う)は、自動詞と他動詞の両方がありますが、ここは他動詞として使われており、直接目的語は「cet air charmant (この魅力的な曲)」です。つまり、「à son enfant (自分の子供に対して)」と「Dans un sourire (微笑の中で)」(微笑みながら)はカッコに入れて理解する必要があります。
「air」は「空気」や「表情」という意味もありますが、ここは「曲」。
ここまでを直訳すると「彼女が自分の子供に微笑みながらこの魅力的な曲を歌ったとき」となります。- 3~4 行目:
「C'」は 1~2 行目全体を指します。
「pour」は前置詞で「~のため」。後ろに不定詞がくると「~するため」。
「lui (彼に)」は「自分の子供に」。
「dire (言う)」の直接目的は、「que dans la vie rien n'est jamais fini」全体です(「que」は、ここでは「...すること」という接続詞)。
「vie」は女性名詞で「人生、生活、生命」。
4 行目は rien ne (何も... ない)と ne... jamais (決して ...ない)が組み合わさっています。
「fini」は、もともと動詞 finir (終わる、終える)の過去分詞ですが、ここは「終わっている」という状態を表す形容詞と取ったほうがわかりやすくなります。
「dans la vie rien n'est jamais fini」を直訳すると「人生においては何も決して終わらない(=終わった状態にはならない)」。
Que sera sera
Demain n'est jamais bien loin
Laissons l'avenir, venir
Que sera sera
Qui vivra, verra
ケ・セラ・セラ(なるようになるわ)
明日は決してそれほど遠いものではありません
未来が来るにまかせましょう
ケ・セラ・セラ(なるようになるわ)
生きていればわかるわよ
- この繰り返し部分の説明については上記を参照。
インターネットで聴けるフランス語版「ケ・セラ・セラ」
1950 年代(諺 Qui vivra verra. の解説で取り上げたヒッチコックの映画が出た直後)に仏語版ケ・セラ・セラが作られ、何人かの歌手が歌っています。
1) Jacqueline François, Que sera sera (YouTube)
歌:ジャクリーヌ・フランソワ。
シャンソンの伝統を感じさせる、落ち着いた、いわば文学的な雰囲気があります。歌詞つき「カラオケ」バージョンです。
「Qui vivra, verra」の部分は、あたかも「Que sera sera」のフランス語訳ですよと言っているかのように、小さめの声で歌われています。
2) Michèle Arnaud, Que sera sera (YouTube)
歌:ミシェル・アルノー。
これも古いシャンソンのしっとりとした感じがあります。昔の 45 回転のレコードからの音源なのでノイズがあります。
3) Line Renaud, Que sera sera (YouTube)
歌:リーヌ・ルノー。
もっと陽気で楽天的で、元気の出るような歌声です。
4) François Deguelt, Que sera sera (YouTube)
歌:フランソワ・ドゥゲルト。
キザになりすぎず、爽やかで好感の持てる歌声です。
4 人の中では、「Qui vivra, verra」が一番聞き取りやすく発音されています。
J. フランソワと L. ルノーは 3 番まで、M. アルノーと F. ドゥゲルトは 4 番まで歌っています。
⇒ その他の歌(シャンソン)の訳と解説(読解編)
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