Randon
ランドン「図解ことわざ」
1863~1864年、『ジュルナル・アミュザン』という小さな新聞(週刊)にジルベール・ランドン Gilbert Randon というイラストレーターが「図解ことわざ」Les Proverbes illustrés というシリーズを数回にわけて連載しています。
- この『ジュルナル・アミュザン』(滑稽新聞)Le Journal amusant は、1830年代に『カリカチュール』『シャリバリ』誌などを創刊して当時のジャーナリスト界を席捲したシャルル・フィリポン(1800-1861)が Journal pour rire 誌のあとを受けて1856年に創刊した新聞。文章よりもイラストのほうが多いくらいで、主に世相を面白おかしく取り上げたり諷刺したりする図版が中心です。
この1863年5月16日(第385号)から1864年6月18日(第442号)にかけて、飛び飛びで連載されています。
この中から、比較的わかりやすいものを中心に、いくつか取り上げてみます。
Abondance de biens ne nuit pas.
「ありあまる財産は害にはならない」
「Mon cœur, ma main et cent mille écus de rente.」(私の心、私の手、10万エキュの地代)と女が言っています。私と結婚すれば、働かなくても家賃収入で一生お金に困ることはないわよ、と言っているのでしょう。
その代わり、体つきも「あり余って」いますが...
Chien qui aboie ne mord pas.
神経質そうな右の男が何か注意か抗議でもしているようです。
しかし振り返った左の男は、まったく取り合っておらず、「どうせ吠えるだけで、噛みやしないくせに」と思っているようです。
Comme on fait son lit, on se couche.
暗くて見にくい絵ですが、どうやら地べたに倒れ込むようにして浮浪者が眠っているようです。
それを指さして、子供が「自業自得だよ」という意味でこの言葉を口にしているようです。
少し冷酷な感じもしますが...
Il faut vouloir ce qu'on ne peut empêcher.
「阻止できないことは欲する必要がある」
逆らっても無駄なことは、(気持ちを切り替えて)進んで受け容れるようにする必要がある、という意味のことわざ。
日本の「長いものには巻かれろ」に通じるところがあります。
ランドンとほぼ同時代のキタール (1842) は、このことわざについて次のように解説しています。
- 運命には進んで従うこと、それが運命の過酷な仕打ちを和らげるための最も有効な手段である。
強い風で帽子(とハンカチ?)が飛ばされていますが、笑いながら「いや、なに、わざと飛ばしたんだよ。もういらない帽子だからね。」とでも言っているようです。
このことわざは、今ではそれほど使われなくなっています。
Il n'y a pas de roses sans épines.
とげに刺され、男は指から血を流しています。
- この絵では Point de rose sans épines. という形になっていますが、意味は同じ。
女性に手を出そうとして、とげに刺されたのでしょうか。とすると、女性は「薔薇」の比喩なのかもしれません。
Jamais long nez n'a gâté beau visage.
「長い鼻が美しい顔を台なしにしたためしはない」
そのままの意味のことわざで、Jamais grand nez n'a gâté joli visage.(大きな鼻が美しい顔を台なしにしたためしはない)など、若干の字句のバリエーションがあります。
長い(大きな)鼻というと、歴史的には 16世紀の王フランソワ一世が有名で、多くの女性と浮名を流した艶福家だったようです。
ここも、右奥で二人の女性が「すてきな方ね」と話しているようです。
左奥では、いたずらっぽい少年が鼻に親指を当てて、ひらひらさせていますが...
La consolation des malheureux est d'avoir des semblables.
「不幸な者のなぐさめは、同類を持つことである」
やや珍しいことわざです。不幸な者どうし傷を舐めあうことで、少しは癒される、ということのようです。
Ne réveillez pas le chat qui dort.
若い男女(おそらく恋人どうし)が窓際で楽しそうに話をしています。しかし、手前の椅子で眠っている母親は起こさないようにする必要があります。そうしないと、また小言や文句を言われて、楽しい気分が台なしになりかねません。
この構図には、グランヴィルが描いた同じことわざの絵の影響が認められます。
On est puni par où l'on a péché.
「人は罪を犯すきっかけとなったものによって罰せられる」
- 直訳すると「人は罪を犯したところのものによって罰せられる」または「人は罪を犯した場所を経由して罰せられる」。
ことわざの意味は、「利益や快楽などを追求して手に入れた、まさにその物の結果として、損害や苦痛を受けること」(Acad. 6e éd., s.v. punir)。
- 旧約聖書『知恵の書』第11章16節に由来することわざ。爬虫類などの卑しい動物を崇拝する人々を罰するために、神はわざとそうした動物を送り込んだのだ、という文脈で、次のような言葉が出てきます。「これは、罪を犯すきっかけとなったもので罰せられることを、彼らに悟らせるためであった。」(フランシスコ会訳、下線引用者)。
ご馳走に目がくらんで、たらふく飲み食いしたまではよかったが、今度は逆に腹の中に収まった食べ物によって、苦しそうにしています。
単に「自業自得」というだけではなく、罪の原因となったまさにそのものによって罰せられる、というところがポイントです。
On ne peut faire boire un âne s'il n'a soif.
鞭で叩いても、頭を押さえつけても、頑固なろばは言うことをききません。
17世紀中頃のラニエの版画でも同じような絵が描かれています。
このことわざは、誰が描いても同じような絵になる可能性が高いかもしれません。
On n'est jamais si bien servi que par soi-même.
「自分自身ほどうまく世話を焼ける人はいない」
- 直訳すると「人は決して自分自身によってほどうまく供されることはない」。
他人に世話してもらうより、自分でやったほうがよい結果が得られる(つまり自分のことは自分でするに限る)という意味のことわざです。
わかりやすい例では、背中がかゆいときは誰かに掻いてもらうよりも、自分で掻いたほうが思い通りになって気持ちがよい、などが考えられます(Cf. 田辺(1976), p.90)。
ただし、このことわざは昔から少し変わった使い方をすることがあり、本来自分のものではないものを勝手に自分のものにする(「あげる」と言われていないのに物をもらう、要するに盗みを働く)ときの言い訳として使うこともあります。
本来なら家の主人に供するべきワインを、黙って使用人が勝手に飲んでいます。
- この絵では On n'est bien servi que par soi-même. という形になっていますが、意味は同じです。
Qui n'entend qu'une cloche n'entend qu'un son.
「一つの鐘しか聞かない者は一つの音色しか聞かない」
争いや裁判などで人々が対立している場合、片方の言い分を聞くだけでは公平とはいえず、真相はわからない、という意味のことわざ。
この絵には、とくに「ひねり」やユーモアは感じらません。
Qui s'y frotte s'y pique.
男が女に手出しをしようとして、ひっぱたかれています。
Qui veut voyager loin ménage sa monture.
馬をいたわって、馬に乗らずに、馬を背負っています。
もっと比喩的な意味で使われることが多いことわざですが、わざと文字通りの意味に「曲解」することでユーモアを出しています。
このことわざを絵に描く場合は、ユーモラスなこの構図がよく描かれますが、このランドンの絵は、その最も古い例かもしれません。
Trois déménagements équivalent à un incendie.
「三度の引越しは一度の火事に匹敵する」
現在ではあまり使われないことわざです。キタール (1842) では次のように解説されています。
- 引越しをするときは、いらないと思った紙や、邪魔だと思った物などは、たくさん燃やしてしまうものだ。ここから、あまりに頻繁に引越しすることの難点や損害を強調するために、このことわざが使われる。
キタールでは Trois déménagements valent un incendie. という形になっていますが、意味は同じです。
両手を挙げている男は、おそらく、あまりの持ち物の多さに癇癪を起して、本来なら捨てなくてよいものまで捨てているのでしょう。脇に立つ男が、そこまでしなくても、といさめているようです。
- 手前の籠には作者ジルベール・ランドンのイニシャル G. R. が描かています。
実際、こうしたことを三回も繰り返すと、一度火事にあったのと同じくらい物を失うことになります。
これは Pierre qui roule n'amasse pas mousse.(転がる石は苔を蓄えない)に通じることわざだともいえます。
なお、日本には「引越し貧乏」という言葉があるそうです。
Ventre affamé n'a point d'oreilles.
幼い子供をつれた母親が物乞いをしていますが、レストランに入っていく男は耳を貸そうとしません。
空腹の人に何を言っても無駄だ、という意味のことわざです。
La fin couronne l'œuvre.
ランドン「図解ことわざ」の一連の絵の最後は、この「有終の美」を意味することわざで終わっています。
ここに描かれているのは、ランドンの自画像です。
左上の天使は「そんなに謙遜するのはおよしなさい」、右上の天使は「もっと大きな字であなたの名前を書きなさい」と言っています。二人の天使が持つ冠には、よく見るとラテン語で Sic itur ad astra(かくして星々へと至る)という言葉(ウェルギリウス『アエネーイス』第9巻641行に由来し、モットーとして好まれた言葉)が刻まれています。
少し大袈裟に自画自賛している気もしますが...
また、ランドンが持つ板には次のように書かれています。
- SAGESSE
DES NATIONS
par
SALOMON, CONFUCIUS
SANCHO PANÇA
Illustrée
RANDON
Gilbert
ソロモン、孔子、
サンチョ・パンサ
による
「諸民族の知恵」
イラスト
ジルベール・ランドン
「諸民族の知恵」は、「ことわざ」の代名詞として19世紀に盛んに用いられた言葉です(「諸民族の知恵」についてを参照)。
ここには、ちょうど20年前に描かれたグランヴィル他『百のことわざ』の影響が明確に認められます(『百のことわざ』の扉絵「諺の樹」を参照)。
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