「北鎌フランス語講座 - ことわざ編」では、フランス語の諺の文法や単語の意味、歴史的由来などを詳しく解説します。

「諸民族の知恵」について

「諸民族の知恵」について

19世紀フランスの諺の本には、よく「諸民族の知恵」 (sagesse des nations) という言葉がでてきます。
「諺は『諸民族の知恵』である」というように、諺を定義する言葉として使われたり、諺を形容する言葉として(ほとんど枕詞のように)反射的に使われたりします。

18世紀末~19世紀の本では、この「諸民族の知恵」はリチャードソンの言葉だとしているものと、ボーマルシェの言葉だとしているものがあります。
気になったので、この表現の由来と背景を探ってみました。

このページは、たまたま読んだ中に出てきたり、調べて見つかったりしたものを並べたものなので、今後さらに加筆する必要が出てくる可能性があります。


旧約聖書『箴言』(紀元前)

この「諸民族の知恵」という言葉からは、個人的には、直感的に旧約聖書の『箴言』を連想してしまいます。『箴言』はフランス語で Proverbes (Le livre des Proverbes) といい、この『箴言』には「知恵」(智慧)sagesse という言葉が頻出するからです。しかし、「民」や「民族」nations という言葉はそれほど使われておらず、また「民族の知恵」という言葉が出てくるわけでもありません。

それでも、どうも旧約聖書『箴言』が気になります。

直接関係はありませんが、芥川龍之介は最晩年の警句(アフォリズム)を集めた『侏儒の言葉』(1927=昭和2年)p.135 において、「聖書」という項目で次のように書いています。

  • 聖書
    一人の知慧は民族の知慧に若かない。唯もう少し簡潔であれば、……

ここでは「聖書」の同義語として「民族の知慧」という言葉が使われています。

しかし、決め手となるものが見つからず、現時点ではこれ以上追究できないので、これに関しては保留にしておきます。

(2015/5/5 追記)

ガブリエル・ノーデ『マスキュラ』(1650)と諺の軽蔑

16世紀イタリアのジェロラモ・カルダーノ(1501-1576)は、1544年にラテン語で『知恵について』 De sapientia という本を書いており、その中に、「それぞれの民族の知恵と分別は、各民族の諺の中に存する」(=諺の中には各民族の知恵と分別が詰まっている)という意味のことを述べた一節があるようですが、原文は未確認なのでとりあえず保留にしておきます。

その約百年後の1650年頃、フランスのガブリエル・ノーデは、通称『マスキュラ』と呼ばれる対話形式で書かれた本の中で、このカルダーノの『知恵について』の一節をフランス語に訳し、引用しています。

  • ガブリエル・ノーデ(1600-1653)は、マザラン枢機卿(若き日のルイ14世の実質的な宰相)に仕え、その蔵書を管理する司書の役割を果たすかたわら、『図書館設立に関する意見書』や『クーデタに関する政治的考察』など、その分野では知られた著作を出しています。ここで取り上げる『マスキュラ』の正式名称は、『マザラン枢機卿に反対して印刷されたすべてのものについての判断 - 1649年1月6日から4月1日の宣言まで』。長いので、登場人物の名を取って『マスキュラ』と呼ばれます。初版1649年刊、大幅に増補された第2版は翌1650年刊。初版は閲覧できておらず、問題の一節が含まれているかどうか不明。以下は第2版に基づいて記述します。

当時(17世紀中頃)はヴォージュラ(1585-1650)などが中心となり、フランス語を美しい言葉にしようとする運動が盛んで、宮廷の人々は諺を卑俗なものとして「軽蔑」するようになっていた時期にあたりますが、この『マスキュラ』の中に次のような一節があります。

  • S. Tu as donc bonne opinion des proverbes, que tant d'autres mesprisent.
    M. Encore meilleure que tu ne penses, & je suis en cela de l'opinion de Cardan, lors qu'il dit en ses livres de Sapientia, que la sagesse & la prudence de chaque nation consiste en ses proverbes.
  • S.「とすると、あれほど多くの人々が軽蔑している諺について、君は肯定的な意見を持っているのかい?」
    M.「君が思っている以上にね。この点については、ぼくはカルダーノが『知恵について』という本の中で「それぞれの民族の知恵と分別は、各民族の諺の中に存する」と述べた意見に賛成なんだよ」
    出典:Gabriel Naudé, Jugement de tout ce qui a este imprimé contre le cardinal Mazarin..., 1650, p.607 (Gallica)

ここでは、諺を軽蔑しようとする当時の風潮に対して、諺を擁護する立場から、上のような言葉が発せられていることが注目されます。

原文では la sagesse des nations(諸民族の知恵)という並びで出てくるわけではありませんが、「諺」と「民族の知恵」とを結びつけた言葉として注目されます。

上で引用した「ぼくは(...)賛成なんだよ」という部分は、このさらに約百年後に『トレヴーの辞典』の proverbe の項に収録され、多くの人の目に留まることになります(下記)。

ジェームズ・ハウエル『ことわざ誌』(1659)

英語では、イギリス人ジェームズ・ハウエルの『ことわざ誌、ことわざまたは古くからの言い習わしと格言』の冒頭に付された「モンタギュー卿への献辞」に次のような言葉が出てきます。

  • I have heard the English Toung often traduc'd abroad, that, whereas the witt and wisdom of a Nation is much discernd in their Proverbiall Speeches, the English is more barren in this kind than other Languages ; To take off this Aspersion, and rectifie the Opinion of the world herein, was one of the main Motifs that induced me to impose this (no easie) taske upon my self of Collecting and publishing these English Proverbs, or old Sayed-Sawes and Adages, which I dare say, have as much Witt, Significence and Salt in them as any of the other Languages that follow.
  • 外国のことわざの言葉の中には民族の分別と知恵がたくさん見出されるのに、これに関しては英語は他の言葉よりも味気ない、といって英語が中傷されるのを、私はしばしば外国で耳にしました。こうした汚名を取り除き、これに関する世界の意見を改めさせることこそ、英語のことわざや古くからの言い習わし、格言を、私自身で集めて刊行するという(容易ならざる)作業を自分に課す気になった主な動機のひとつでした。こうした英語のことわざには、あえて言うなら、ここで取り上げた他のあらゆる言葉と同じくらい多くの分別、意味深さ、機知が含まれています。
    James Howell, Paroimiographia. Proverbs, or Old Sayed Sawes & Adages, 1659

「しばしば耳にしました」と書かれていることから、もっと前からこうした表現が使われていたことがわかります。

ウィリアム・ペン『父の愛の果実』(1726)

それから半世紀少々経った頃、舞台は独立戦争以前の新大陸アメリカに移りますが、ペンシルベニア州の基礎を築いたウィリアム・ペン(1644-1718)の『父の愛の果実』 Fruits of a father's love (死後 1726刊)という箴言集(英語)の中にも、諺に関連して「諸民族の知恵」という言葉が出てきます。

  • 1644年にロンドンで生まれたウィリアム・ペンは、若くして当時イギリスで流行していたキリスト教の一派クエーカー教(日本の内村鑑三もこの一派)に共鳴し、宗教上の理由から投獄されるなど迫害を受けたこともあって、1681年にイギリスのチャールズ2世から新大陸アメリカに土地を与えられると、この地に新しい活躍の場を見出し、ペンシルベニア州の基礎を作ります(「ペンシルベニア」は「ペンの森」を意味するラテン語からの命名)。この地でペンは宗教的寛容の精神にのっとった憲法を作り、旧大陸(ヨーロッパ)各地からクエーカー教徒を呼び寄せ、「兄弟愛」を意味する「フィラデルフィア」市を建設します。また文才にも優れ、全部で 556の箴言からなる『孤独の果実』Fruits of solitude と題する箴言集を 1682年に刊行しています。こで取り上げる『父の愛の果実』も、この延長線上に位置する断章形式の教訓を集めた小冊子で、クエーカー教の教義を説いたと思われる記述も多く含まれています(序文によると、ウィリアム・ペンの死後に、あるクエーカー教徒が刊行したようです)。これ以後、しばしば『孤独の果実』と『父の愛の果実』は抱き合わせて刊行されています。

この『父の愛の果実』は、副題に「世俗上および宗教上の振舞いについてウィリアム・ペンが自分の子供達に与えるアドバイス」とある通り、父親から子供への助言という形を取り、命令形を多用して「教え」が列挙されています。この本の第2章§28は次のようになっています。

  • The Wisdom of Nations lies in their Proverbs, which are brief and pithy; collect and learn them, they are notable Measures and Directions for human Life; you have Much in Little; they save Time and Speaking; and, upon Occasion, may be the fullest and safest Answers.
  • 諺の中には諸民族の知恵がある。諺は簡潔で的を射たものだ。諺を集め、学びなさい。諺は卓越した手段であり、人生の指針となる。少しのもので多くのものが得られる。諺は時間と話の節約になる。そして場合によっては、最高の、最も間違いのない答えとなることもある。
    出典:William Penn, Fruits of a father's love, the advice of William Penn to his children, relating to their civil and religious conduct, 1726, ch.2, §28. (強調引用者)

ここで初めて Wisdom of Nations(諸民族の知恵)という並びで出てくるのが注目されます。

ちなみに、この文は La Mésangère (1821), p.4 では次のように仏訳されています。

  • La sagesse des nations est renfermée dans leurs proverbes.
    諺の中には、諸民族の知恵が詰め込まれている。

ただし、この Wisdom of Nations(諸民族の知恵)という英語がフランスに与えた影響という点では、ウィリアム・ペンの本よりも、次のリチャードソンの『クラリッサ』のほうがはるかに大きかったと考えられます。

リチャードソン『クラリッサ』(1748)

1748年にイギリスで出版されたリチャードソンの小説『クラリッサ』(英語)と、その 3年後の 1751年に出たフランス語訳では、「諺」の同義語として「諸民族の知恵」という言葉が多用されています。

サミュエル・リチャードソンの『クラリッサ』(Samuel Richardson, Clarissa or the History of a Young Lady, 1748) は、初めての本格的な書簡体小説と言われていますが、この小説の中で、主要な登場人物の一人ラヴレイスの叔父にあたる「M卿」は「諺好きの爺さん」という設定になっており、手紙の中でも何かにつけて諺を引用します。その中で、次のような一節があります(以下、日本語訳は渡辺洋訳『クラリッサ ある若き淑女の物語』から引用)。

  • He has always had the folly and impertinence to make a jest of me for using proverbs: but as they are the wisdom of whole nations and ages collected into a small compass, I am not to be shamed out of sentences that often contain more wisdom in them than the tedious harangues of most of our parsons and moralists. (Volume IV, Letter XXXVI)
  • 甥はいつも私を冗談の種にしていたのだ。格言じみた物言いをするということでな。だが、格言というのは諸国民の、そして、あらゆる時代の叡智を簡潔にまとめたものであるから、我が国の大抵の牧師や道徳家連中が弁じ立てる退屈な長広舌よりも豊かな叡智を含むことの多い名文句を、恥じて捨て去るというわけには行かないのだ。(第4巻、手紙24)
    このように、渡辺訳では「諸国民の叡智」という訳語が使われています。英語原文は gutenberg で閲覧可能。ただし両者の巻・章の番号は相違しています。強調は引用者(以下同)。

これを受け、叔父の「諺癖」に辟易しているラヴレイスは、親友に宛てた手紙の中で、以下のように愚痴を並べたてます。

  • I was early suffocated with his wisdom of nations. (...) This gave me so great an aversion to the very word [proverb] (...)
    Well, but let us leave old saws to old me. (Volume IV, Letter XXXVII)
  • 卿の言う「諸国民の叡智」とやらには息の詰まる思いをしていたのだ。(...)そんなことから、格言という言葉そのものがとことん嫌いになってしまい(...)
    それはそうと、古臭い諺は年寄りたちに任せることにしよう。(第4巻、手紙25)

  • Lord M. [mayest go on] with his wisdom of nations (...) (Volume IV, Letter XLIV)
  • M卿が例の諸国民の叡智とやらを並べ立てるとしても(...) (第4巻、手紙32)

  • To keep it back, to delay sending it, till he had recollected all this farrago of nonsense - confound his wisdom of nations, if so much of it is to be scraped together, in disgrace of itself, to make one egregious simpleton! (Volume IV, Letter LI)
  • こんなたわごとの寄せ集めをそっくり思い起こすまで、手紙をしまい込み、発送を遅らせるとは…「諸国民の叡智」なんぞはくたばってしまえだ。これだけたっぷりと掻き集めた挙げ句に大馬鹿者が一人出来上がるのでは、知恵のほうでも面目が立つまい。(第4巻、手紙39)

  • Hunting after more wisdom of nations, I suppose! (Volume V, Letter VI)
  • またぞろ、「諸国民の叡智」とやらを漁っているのだろうな、おそらく。(第4巻、手紙49)

しかし最後に、諺が真実だったことを認め、次のように書いています。

  • The event, however, as thou wilt find, justified the old observation, That listners seldom hear good of themselves. (...)
    There is something of sense, after all in these proverbs, in these phrases, in this wisdom of nations. (Volume V, Letter XXVI)
  • ご覧のとおり、事の成り行きからして、「聞き耳を立てる者が褒め言葉に巡り合うことは滅多にない」という、昔からの所見の正しさを裏付けることとなったのだよ。(...)
    こういった諺、これらの警句、この「諸国民の叡智」というやつにも、結局のところ、いくぶんか道理はあるということだよ。(第5巻手紙10)

この『クラリッサ』は、英語の原作が出てからわずか3年後の1751年に、フランス恋愛小説の不朽の名作『マノンレスコー』(1731)を書いたアベ・プレヴォーがフランス語に訳しています。
この中で、英語の wisdom of nationsla sagesse des nations と訳されています。
これがフランス語で「諸民族の知恵」という言葉が「諺」の同義語として使われた、ほぼ最初の用例ではないかと思われます。

ちなみに、アベ・プレヴォーによる仏訳が優れていたせいもあってか、リチャードソンはフランスでも大いにもてはやされ、ディドロは1762年に「リチャードソン頌」を書いています。

  • なお、直接関係はありませんが、「諸民族の知恵」に似た言葉として、日本では伝統的に『国富論』と訳される 1776年刊のイギリスのアダム・スミスの『諸国民の富の性質および原因についての研究』は、原題を短く略すと英語では Wealth of Nations, フランス語ではRichesse des nations となり、これを直訳すれば「諸民族の富」となります。この本は若き日のナポレオンも熟読したようです。

『トレヴーの辞典』(1752)

18世紀を代表する国語辞典兼百科辞典である『トレヴーの辞典』では、1752年版になると、その proverbe の項目に、前述のガブリエル・ノーデ『マスキュラ』の一節が収録されるようになります(もとの本は対話調ですが、文脈から切り離してもう一度訳してみます)。

  • Je suis de l'opinion de Cardan, lorsqu'il dit en ses Livres De sapientia, que la sagesse & la prudence de chaque Nation consiste en ses proverbes.
  • 私は、カルダーノがその著書『知恵について』で、「それぞれの民族の知恵と分別は、各民族の諺の中に存する」と述べた意見と同じである。
    (このトレヴーの辞典の記述は、Tuet (1789), p.25 や La Mésangère (1821), p.iii でも言及されています)

原文では la sagesse des nations (諸民族の知恵)という並びで出てくるわけではありませんが、『トレヴーの辞典』に記載されたことで、諺と「民族の知恵」とが密接な関係があるものとして広く認知されるようになったと考えられます。

おそらく、リチャードソン『クラリッサ』のアベ・プレヴォによる仏訳と、この『トレヴーの辞典』の記憶から、次のボーマルシェ『フィガロの結婚』に出てくるせりふが生まれたのではないでしょうか。

ボーマルシェ『フィガロの結婚』(1784)

ボーマルシェの『フィガロの結婚』(1784)の有名な場面にも、実は主人公フィガロのせりふの中に「諸民族の知恵」という言葉が出てきます。

最初に、原文と辰野隆訳を引用します。

  • Ah ! voilà notre imbécile avec ses vieux proverbes ! Hé bien, pédant, que dit la sagesse des nations ? Tant va la cruche à l'eau, qu'à la fin...
  • なんだ! 古めかしい諺を持ち出す阿呆もねえもんだ! 物識り顔もすさまじい、お国柄の諺のわけがわかっているのか? なんぼ甕(かめ)でもたびたび汲めば、しまいにゃ...
    辰野隆訳『フィガロの結婚』岩波文庫 p.45 による。この訳の前後は「壺を何度も水汲みに持って行くと、ついには割れる」を参照。

しかし、この訳の「お国柄の諺」という部分は、少しわかりにくい気がします。

最近出た鈴木康司訳では、次のように訳されています。

  • おや、おや! うちのお馬鹿さんが、またしても古臭いことわざかよ! さてと、それなら、インチキ学者さん、民草の知恵分別はなんと言っておりますかな? 「水がめも何度も水辺に行くうちに...」
    鈴木康司訳『新訳フィガロの結婚』大修館書店、2012、p.45 による。

最後に、私なりに逐語訳に近づけて訳すと、次のようになります。

  • ああ! 古い諺を使う馬鹿がいるぞ! おい、知ったかぶりめ、諸民族の知恵では何と言う? 壺を何度も水汲みに持って行くと、ついには...

つまり、「諸民族の知恵」 (la sagesse des nations) という表現は、単に「諺」 (proverbes) の言い換えとして使われていることがわかります。

有名な劇の有名な場面なので、これで、この表現が多くのフランス人の記憶に刻まれたはずです。

19世紀の民族主義と「諸民族の知恵」

ここで、16世紀以降における諺の地位について、ざっと振り返っておきます。

一般に、16世紀までは珍重されていた諺ですが、17世紀になると、フランス語の「純化」が推進されていくのに歩を合わせ、ラ・ロシュフコーなどの洗練されたフランス語による箴言(アフォリズム)がもてはやされていき、それとは対照的に古い語法を引きずった諺は「卑俗なもの」と見なされ、諺の地位は地に堕ちることになります。

  • この経緯については衆目の一致するところですが、その背景については例えば Rivière (1982) で論じられています。

しかし、フランス革命を経て19世紀に入ると、諺はそうした固定観念から解き放たれます。折から、ナポレオン以降、ナショナリズム(民族主義)の考え方が擡頭し、「民族」 (nation) という概念が熱く語られるようになります。
「諸民族の知恵」 (sagesse des nations) という表現は、こうした時代の風潮にぴったりと合致し、諺の地位を高めるために好都合な表現として使われたのではないかと想像されます。

キタール諺三部作の 1 作目(1842)と 2 作目(1860)

19世紀における諺研究の第一人者ピエール=マリー・キタールは、いわば「諺三部作」とも呼ぶべき著作を刊行していますが、その 1 作目『諺の語源的、歴史的および逸話的辞典』(1842)の序文において、前世紀まで軽視されてきた諺を再評価しようと試みています。
この中で、キタールは諺を 2 種類に分け、個別の民族的偏見に基づくような諺(特殊な諺)は排斥されても仕方ないが、全民族に共通するような諺(普遍的な諺)は人類の叡知として尊重すべきである、という意味のことを述べています。

  • それゆえ、普遍的な諺と特殊な諺とを区別することができるだろう。普遍的な諺には、すべての民族の常識によって普遍的に認められた経験的真実に基づく格言が含まれる。これこそ「諸民族の知恵」と呼ばれるものである。この呼び名が正当化されるのは、こうした諺で、適切な観察や有益な教えを含まないものはないからである。(...)
    特殊な諺に含まれる格言は、やはり経験的真実に基づいてはいるが、しかしある民族固有の特殊で局地的な真実に基づいている。この区分には、民族的な慣習に関係のあるディクトンや比喩的表現も含まれる。
    Pierre-Marie Quitard, Dictionnaire étymologique, historique et anecdotique des proverbes, Paris, P. Bertrand, 1842, p.viii
    このあたりは、キタールが1860年に出版した「諺三部作」2作目 Études historiques, littéraires et morales sur les proverbes français et le langage proverbial(邦訳:『フランス語ことわざ研究』)第1章にもほとんど同じ形で収録されています。

ここでは、「諸民族の知恵」という言葉の「民族」が単数形ではなく複数形であることに価値が置かれていることが注目されます。

また、「諺三部作」2 作目の最終章で、キタールはベルギーの産業博物館長「ジョバール氏」の次のような言葉を引用しています(吉岡正敞訳による)。

  • ことわざというものは <諸民族の知恵> でありますから、早い時期から子供達にそれを教え込むのが賢明ではないでしょうか。 (...)
    初等、中等、高等教育は、何よりもまず、<諸民族の知恵> の吸収と理解を目的とし、基盤とすべきでしょう。
  • <諸民族の知恵> は確かに古代人が私たちに残すことができた最も豊かな宝物です。

ここには、「諸民族の知恵」と言えば誰も反対する人などいるはずがない、と確信しているかのような、現代から見ると無邪気とも思えるほど楽天的な雰囲気が感じられます。

グランヴィル『百の諺』(1845)

もうひとつ、1845年に刊行された『百の諺』を取り上げてみます。この本は、諺を題材とした別丁挿絵(ページ全面を使った挿絵)50枚と、4人の作者が書いた50の短編(掌編)で主に構成される本で、全50話のうちの第1話は、擬人化された「諺」たちが「復讐」を遂げるという、いささか荒唐無稽な内容となっています。しかし、この「復讐」を「復権」と読み替えるなら、この本が「諺の復権」を最大のテーマとしていることが理解されます。

この本の冒頭の扉絵 (Frontispice) で、風刺画家グランヴィルは「諺の樹」とでも呼ぶべき挿絵を描いています。椰子(やし)のような木で、幹に巻かれた紙には次のように書かれています。

  • Les Proverbes Sont la Sagesse des nations.
    諺は諸民族の知恵である。

諺の樹
(この挿絵の全体は「グランヴィル」のページで取り上げています)

つまり、「諸民族の知恵」という言葉は、ここでは「諺の復権」を宣言する一種のスローガンのような役割を担っていると考えることができます。

なお、グランヴィルの影響が強く認められるランドンの「図解ことわざ」シリーズ(1863~1864年)の最後の絵でも、「諸民族の知恵」という言葉が描かれています。

フローベール『紋切型辞典』(1880 遺稿)

その後、19世紀後半(1886年)に出たある諺の本に、次のような言葉が出てきます。

  • On a dit et redit que les proverbes étaient la sagesse des nations.
    諺は諸民族の知恵である、とこれまで何度も繰り返し言われてきた。
      Lorédan Larchey, Nos vieux proverbes, 1886, p.V

もうこの頃には、「諸民族の知恵」というのは誰もが口にする手垢にまみれた表現だったようです。

ここで思い出されるのは、19 世紀屈指の小説家ギュスターヴ・フローベールが手垢にまみれた表現(つまり紋切型)を揶揄するために構想した『紋切型辞典』 Le Dictionnaire des idées reçues です。この作品はフローベールが 1880 年に没したことで未完に終わりますが、もしフローベールがこの本の中で「ことわざ」という項目を立てていたとしたら(これは想像の話ですが)きっと次のように書いたことでしょう。

  • PROVERBE. La sagesse des nations.
    ことわざ 諸民族の知恵。
















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