絵葉書Q-Z
フランスの諺の絵葉書 4 (Q)
諺を描いた絵葉書をアルファベット順にいくつか取り上げてみます。
Quand le vin est tiré, il faut le boire.
この絵葉書では Le vin est tiré, il faut le boire. と書かれています。
Quand on parle du loup, on en voit la queue.
「Zoo」は「動物園」です。
狼ならぬ人間が立っており、裸の男の人も、それを見ている女の人も、顔を赤らめています。
実は、queue という単語には「尻尾」のほかに「男性性器」という意味もあります。
普通、この諺は中性代名詞 en を使って on en voit la queue と言いますが、この絵葉書の下には on voit sa queue と書かれています。
通常、(例外もありますが) en は「de + 前に出てきた物(動物も含む)」を指し、所有形容詞 sa を使うと「de + 前に出てきた人」を指します。
sa を使うと、動物ではなく「人」というイメージが強くなるので、「queue」という単語が「尻尾」ではなく「男性性器」という意味に誤解される余地が高くなるように感じられます。
本来なら en を使うべきところを、まちがって sa を使ってしまい、別の意味に解釈されて、言った方も言われた方も顔を赤らめている状景を描いている、とも言えるかもしれません。
Qui aime bien châtie bien.
(おそらく親が)子供を「お仕置き」しています。
無意味なほど大げさな機械を使っているところが「ユーモア」です。
フランス語の諺の下には、英語で次のように書かれています。
- It hurts me more than it hurts you.
これはおまえを傷つける以上に私を傷つけるのだ。
Qui dort dîne.
ぼろぼろの服を着た人が道端で寝ており、空腹のまま、ソーセージとチーズとワインの夢を見ているようです。
こうした絵を見ると、昔は「貧乏な人は夢の中で食事をする」という意味でこの諺が使われたことが推測されます。
- 19世紀の仏仏辞典Littréには、この諺は「ものぐさを責めるために、『働かないと夢の中でしか食事ができなくなるぞ』という皮肉な意味で、怠け者に対して使われる」と書かれています。
- ここに描かれているのは、いわゆる chemineau (農村を渡り歩き、農作業を手伝うことでわずかな報酬を得ていた浮浪者・乞食の一種で、干し草などの上で寝泊りしていた)ではないかと思われます。
もともと、Qui dort dîne. という諺は、語調は優れている反面、少し舌足らずで、どのように解釈したらよいか、わかりにくい表現です。
次の絵葉書では、この「眠る者は食事をしている」という言葉について、非常に苦しまぎれの解釈がなされています。
犬小屋で口を開けて眠る男が、変なものを食べさせられ、飲まされています。
Qui sème le vent récolte la tempête.
おそらく二股(三股)をかけて浮気していたのが露見したのか、袋叩きにあっています。
自業自得で「嵐を収穫」している図です。
葉書の上には les vieux dictons (古くからの諺)と書かれています。
葉書の下の諺は、アクサンが嵐を思わせる稲妻で描かれています。
次の絵葉書は、第一次世界大戦中のもので、少し物騒な内容です。
左上に、手書きで斜めに Campagne 1914 (戦地にて、1914 年)と書き込まれています。戦争初期、ドイツがベルギーを経てフランス北東部に攻め入った頃のことです。
葉書の右上には次のように書かれています。
- Nous aurons ta peau, Guillaume !
おまえの息の根を止めてやるぞ、ギヨーム!
peau には「命」という意味があり、avoir la peau de qn で「~の息の根を止める、殺す」。
「ギヨーム」とは、第一次大戦を起こした張本人であるドイツ皇帝ヴィルヘルム 2世のことで、ぴんと張ってカールさせた口ひげが特徴です。
- 余談ですが、このヴィルヘルム 2世風のひげのことを「カイゼル髭」と呼び、当時流行したようです(カイゼルは「皇帝」を意味するドイツ語 Kaiser カイザー)。
夏目漱石もまねしており、『我輩は猫である』下巻には、猫が主人(漱石のモデル)を評して述べた「彼はカイゼルに似た八字髯を蓄ふるにも係らず...」という言葉が出てきます。
多数の戦死者を出したので、ヴィルヘルム 2世の足跡が血の色で描かれています。
絵葉書の下には次のように書かれています。
- Tu as semé le vent, tu récoltera la tempête.
T'as beau crâner, va. On te la défrisera, ta moustache.
おまえは風を蒔いたのだ、おまえは嵐を収穫するだろう。
カールさせたって無駄だぞ、おい。そのカールを取ってやる、おまえの口ひげの。
2行目の「T'as」は Tu as を縮めた俗語。 avoir beau + inf. で「~しても無駄だ」。
「la」は文末に遊離した「ta moustache」を指します。
諺そのままの形では出てきませんが、諺を踏まえて semer le vent (風を蒔く)、 récolter la tempête (嵐を収穫する)という表現が使われています。
戦争を仕掛けた(=風を蒔いた)のだから、あとで痛い目にあう(=嵐を収穫することになる)ぞ、と言っているわけです。
- ちなみに、この葉書の裏面には、手書きで「本当に、ギヨームの豚野郎の息の根を止めてやりたいな。連合国万歳! ドイツをやっつけろ。勝利は我らのものだ」と書かれています。
vent (風)には「おなら」という意味もあり、この諺の前半は「おならを蒔く者は...」と解釈されています。
「おならをする」はフランス語で péter というので、最後の単語 tempête (嵐)の tem と pête を切り離すようにして pête を強く発音すると雰囲気が出ます。
「...嵐のような屁を収穫する」という感じになります。
右下には、赤い字で proverbe toulousain (トゥールーズの諺)と書かれています。トゥールーズは南仏ラングドック地方のスペイン寄りにある都市です。
左の鍋には cassoulet (カスーレ)と書かれていますが、これはこの地方の郷土料理で、白インゲン豆(haricots blancs)を煮込んだものです。
インゲン豆(haricots)は食物繊維が豊富で、フランスでは大量のおならが出る原因として有名です(ちょうど日本のサツマイモのようなイメージです)。
Qui se ressemble s'assemble.
似た者は集まる (類は友を呼ぶ)
棒を持って待ち伏せし、襲いかかろうとしているようです。
左の男は、見るからに悪人づらをしていますが、「類は友を呼ぶ」と言うように、右の男も悪者なのでしょう。
似た顔立ちの、背の低い男女が結婚式を挙げています。「似たもの夫婦」です。
よく見ると、右に立っている市長と、左に座っている付き添いの男も、似たような顔立ちをしています。「類は友を呼ぶ」のかもしれません。
Google で、このフランス語の諺の画像検索をすると、もっとおもしろい絵が見つかるかもしれません。
Qui s'y frotte s'y pique.
編み物の針を刺したようです。
服装はブルターニュ地方の民族衣装です(Folklore Breton シリーズの中の一枚)。
次の絵葉書では、そっと女性の背中を触ろうとして、ワンピースについていた針に刺されたのでしょうか。
男は痛いのを我慢しながら、声は出さないようにして痛めた手を押さえているように見えます。
手出しをして、痛い目にあっています。
突然ですが、トランプの 4 種類のマークは、フランス語で次のように言います。
- le cœur ハート
- le carreau ダイヤ
- le trèfle クローバー
- le pique スペード
次の絵葉書では、これを利用した絵文字が使われています。
これを見ると、スペード = pique ということが忘れられなくなります。
諺になる以前から、Qui s'y frotte s'y pique. はロレーヌ地方のナンシー市のモットーとして、薊(あざみ) - 正確には chardon lorrain(直訳するとロレーヌ アザミ)と呼ばれる種類の薊 - と組み合わされて、この地方のシンボルとなってきました。
左下のマークはロレーヌ地方の紋章です。
ナンシー市の観光名所を集めた次の絵葉書でも、この言葉と薊が描かれています。
第一次大戦中は、ドイツの侵略に対して、抵抗の意味でこのモットーないし諺が使われたことを示す絵葉書が複数残されています。次の絵葉書もその一枚です。
ここに描かれているのは、第一次世界大戦当時のドイツ皇帝ヴィルヘルム 2 世です。
右手はパリ、左手はペトログラード(当時のロシアの首都、現在のサンクトペテルブルク)に突き刺されています。
フランスとロシアに手出しをして、痛い目にあっています。
その他、女性の裸体の上に薔薇を置いた絵葉書や、サボテンにコンドームをかぶせた絵葉書などがありますが、掲載するのは控えておきます。
Qui trop embrasse mal étreint.
似たような発想の絵は、同じ諺を描いた 17 世紀の版画にも見られます。
この諺のイメージがよく表現されています。
次の「クロモ」でも、抱えすぎて皿を割っている情景が描かれていますが、ここで注目したいのは左上に描かれた言葉遊びです。
左上では、キトロ(Quitro)という変わった名前の人が、ブラス(Brasse)さんを絞首刑にしています。フランス語で書くと、
- Quitro pend Brasse.
(キトロはブラスを絞首刑にする)
「pend」は pendre (ここでは他動詞で「吊るす、絞首刑にする」の意味で、rendre と同じ活用をする不規則動詞)の現在3人称単数。
その右側に置いてある、昔の大きな「旅行用トランク」は malle
「生け垣」は haie
「列車」は train
続けて読むと、この諺と同じ発音になります。
諺の「Qui trop embrasse」(抱きかかえすぎる者は)の部分が「Quitro pend Brasse」(キトロはブラスを絞首刑にする)と同じ発音になるということから、この諺の trop と embrasse の間はリエゾンすることがわかります。
この諺は、『現代ことわざ辞典』という本では、「誰にでも抱きつく者は抱きしめる力も弱い」と訳されています。
次の二枚セットの絵葉書に関しては、この訳がぴったりです。
二人の女性に言い寄って、どちらもものにできなかったようです。
Qui trop embrasse manque le train.
有名な諺 Qui trop embrasse mal étreint. (抱きかかえすぎる者は、うまく抱き締めない)の後半部分をもじった言葉遊びです。
こうすると、embrasser は「抱きかかえる」ではなく「キスをする」という意味になります。
以下のような絵葉書を見ると、昔からこの言葉遊びが存在したことがわかります。いずれも蒸気機関車が描かれています。
消印は 1908 年 1 月 7 日です。
キスをしている兵隊の上に、この葉書を送った人が次のように書き込んでいます。
- Je t'envoie le même baiser qu'il lui donne.
彼が彼女にしているのと同じキスを、僕は君に送るよ。
1913 年 4 月 28 日と書き込まれています(消印は 29 日)。
- 右下には、小さな字で、俗語で「待ってくれよう、待ってくれよう、ジョゼの親父が母ちゃんにキスし終えたばかりじゃねえかよう」と書かれています。
手すりに Côte d'Amour (コート・ダムール、直訳すると「愛の海岸」)と書かれており、遠くに Nantes (ナント)の街が描かれています。
- 「コート・ダムール」というのは地名で、大西洋に面するロワール川の河口よりも北側一帯(ナント近郊)の海岸を指します。これは海水浴場がにぎわうようになった1911年、雑誌の読者投票により採用された名称だそうです。
ちなみに海水浴という習慣は、18世紀にイギリスの医師が健康・療養のために勧めたのが始まりで、19世紀前半にフランスにも伝わり、特に鉄道網の整備によって19世紀末に流行するようになり、大西洋岸と英仏海峡沿いに海水浴場が作られていったようです。20世紀初頭に書かれたプルーストの『失われた時を求めて』で、主人公が列車に揺られながら海岸に向かう場面は印象的です。
左上には mais comment quitter... (でも、どうやって離れろと言うの?)と書かれています。
Île d'Oléron (オレロン島)はボルドー近郊の大西洋岸にある、海水浴場もあるリゾート地です。
- この絵葉書は手が込んでいて、女性のスカートの四角形の部分をめくると、蛇腹に折り畳まれたオレロン島の観光名所を紹介する白黒写真が飛び出してくる仕掛けになっています。
蒸気機関車に積まれた石炭や、石炭を燃やして中が赤くなっている様子も描かれています。
Qui va à la chasse perd sa place.
絵葉書では、「狩にでかけたすきに、亭主が女房を寝取られる」というシチュエーションが好んで取り上げられています。
これから狩にでかけるところですが、部屋ではもうキスが始まっています。
庭の奥でも、よく見ると犬小屋が 2 つ並んでおり、Diane (女の名前)と書かれた犬小屋に、他のオスの犬が尻尾を振って寄ってきています。
こちらは、犬がズボンとブラジャーをくわえてきています。
左奥の茂みの中には、ズボンとブラジャーを持っていかれて、こちらを見ている男女が描かれてます。
下に次のように書かれています。
- Qui va à la pêche perd sa place !
C'est toi qui me l'a appris quand tu allais à la chasse !
釣りに行く者は、自分の席を失う!
狩に行くときに、そう教えてくれたのは、あなたじゃないの!
「浮気をされても当然でしょ」とでも言いたげです。
しかし、妻は少し間違っている(夫が言った言葉を聞き間違えた)ようで、1 行目の「la pêche」(釣り)は正しくは「la chasse」(狩)であり、普通は次のように言います。
- Qui va à la chasse perd sa place,
qui va à la pêche, la repêche.
狩に行く者は、自分の席を失う。
釣りに行く者は、それを再び釣り上げる。
詳しくは、この諺の解説の【諺の続きについて】の項を参照。
つまり、狩に行けば失い、釣りに行けば取り戻すわけです。
夫は、狩ではなく釣りに行ってきたので、自分の地位を取り戻しています。
現代の絵葉書でも、
この諺に関しては、こうしたシチュエーションばかり描かれるようです。
Qui va doucement va sûrement.
もとはイタリア語の諺 Chi va piano va sano. の仏語訳です。
次の絵葉書にように、 Chi をフランス語風に Qui に変えた形もよく見かけます。
このように、かたつむりや亀などがよく描かれます。
Qui va doucement va loin. (ゆっくり行く者は遠くへ行く)という形が使われています。
2 輪車がパンクしてしまい、3 輪車の女の子に抜かされています。
次の絵葉書は、大人向けですが...
Qui va doucement va longtemps. (ゆっくり行く者は長く行く)と書かれています。
メトロノームが示唆的です。
急ぎすぎると、早く終わってしまうというわけです。
⇒ フランスの諺の絵葉書 1 (A~H)
⇒ フランスの諺の絵葉書 2 (I~L)
⇒ フランスの諺の絵葉書 3 (M~P)
⇒ フランスの諺の絵葉書 4 (Q)
⇒ フランスの諺の絵葉書 5 (R~Z)
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