「北鎌フランス語講座 - ことわざ編」では、フランス語の諺の文法や単語の意味、歴史的由来などを詳しく解説します。

絵葉書R-Z

フランスの諺の絵葉書 5 (R~Z)

諺を描いた絵葉書をアルファベット順にいくつか取り上げてみます。

⇒ フランスの諺の絵葉書のトップ

Rien ne sert de courir, il faut partir à point.

走っても無駄だ、ちょうどよい時に出発する必要がある

もとは、イソップ物語をもとにしたラ・フォンテーヌ『寓話』の「兎(うさぎ)と亀(Le lièvre et la tortue)」に出てきます。

走っても無駄だ、ちょうどよい時に出発する必要がある

道の向こうのほうに BUT (ゴール)と書かれています。
有名な諺なので、このように前半だけ言っても通じます。


この諺を扱った絵葉書は、遅刻して乗り遅れる場面を描いたものが多いようです。

走っても無駄だ、ちょうどよい時に出発する必要がある

走っても無駄だ、ちょうどよい時に出発する必要がある

走っても無駄だ、ちょうどよい時に出発する必要がある

これは「乗合(のりあい)馬車」と呼ばれるものです(バスの原形)。時代を感じさせます。

次の絵葉書は、第二次世界大戦直後(1945~1950年頃)のパリのサンラザール駅を写したものです。

走っても無駄だ

実は、この右下に写っている看板(おそらく電光掲示板)に、このことわざの前半が出てきます。

拡大してみます。

走っても無駄だ

Rien ne sert de courir !!! (走っても無駄だ!)と書かれています。

その下には、どうやら小さな字で Louez vos places d'avance.(まずは席を予約してください)と書かれています。

要するに、「事前に席を予約してから、ゆっくり駅にお越しください」ということのようです。
いずれにせよ、前半だけ言ってもイメージがわくような、有名なことわざです。

→ この諺の解説



Rira bien qui rira le dernier.

最後に笑う者がよく笑う

次の絵葉書は 3 コマ漫画になっています。

あからさまに障害者を馬鹿にしたような内容が含まれている点に驚かされますが、この絵葉書は 20 世紀初頭(1908年頃)のもので、当時は人権にかかわるような観念・感覚が現在とは異なっていたようです(同じ図柄の「クロモ」も存在します)。

最後に笑う者がよく笑う

〔上〕
LE MÉCHANT GAMIN - Ah, Ah ! Voyez donc ce mal bâti.
Veux-tu faire la course avec moi ?
意地悪な少年 「あはは! おい見てみろ、あの変な格好をしたやつを。
ぼくと駆けっこをしないか?」
Ah, ah ! は笑い声を示す擬音語。

〔中〕
L'ESTROPIÉ. - Attends, mon petit, voici une mare de boue que nous sommes obligés de traverser.
Moi, j'y passe très facilement.
不具(かたわ) 「待てよ、君、どろ沼があるぞ。これを渡らないといけないな。
ぼくは簡単に渡れるけどね。」
estropié は「(手足に)障害のある人」。

〔下〕
Mais toi, tu enfonces, et tu me demandes de te tirer de là. Ah, ah ! Débrouille-toi donc tout seul, vilain moqueur.
「しかし君はというと、沈みこんでいて、助けてくとぼくに頼んでいる。あはは! ひとりで切り抜けてみろ、人のことを馬鹿にする悪者め。」



次の絵葉書では、狩をしにきたのに、猟銃が壊れてしまい、動物達が寄ってきて笑っています。

男は、「畜生、みんなで俺のことを笑いやがって!」と思っているようです。

最後に笑う者がよく笑う

ここでは、「最後に笑う者がよく笑う」は、「今は笑っているが、あとで思い知らせてやるぞ」(今に見ているがいい)というような意味で使われています。
この訳を使って、絵葉書の下に書かれた文を訳してみます。

  • Rira bien qui rira le dernier....
    Quand j'aurai trouvé d'où ça vient !
    今は笑っているが、あとで思い知らせてやるぞ。
    俺が故障の原因を突きとめたときにはな!
    「d'où」は de と où がくっついた形で、英語の from where に相当します。「d'où ça vient」を直訳すると「それがどこから来ているか」。つまり「故障の原因は何か」。時制は前未来(英語の未来完了)。

→ この諺の解説



Si jeunesse savait, si vieillesse pouvait.

もし若者が知っていたらなあ、もし老人ができたらなあ

次の絵葉書は 2 枚セットで、諺の前半と後半に分かれています。

  • 第一次大戦前頃の絵葉書です。モノクロ印刷後に、個々の絵葉書に着色しているため、色は絵葉書によってまちまちです(次の最初の絵葉書は着色されていません)。

Si jeunesse savait (もし若者が知っていたらなあ)

もし若者が知っていたらなあ

仮想の会話
「ねえ、私がお相手するのじゃ、だめかしら?」
「いえ、いえ、そんなことは...」

もじもじしているので、葉書の差出人(裏面によると女の人)がじれったく感じたらしく、いたずら書きのようにして、左側に次のように書き込まれています。

  • Allons ! Vas-y !
    さあ! それ行け!

Si vieillesse pouvait (もし老人ができたらなあ)

もし老人ができたらなあ

仮想の会話
「あなたじゃ(ベットの上では)無理そうね」
「ふん、悪かったな...」

このように、この諺の pouvoir (できる)という言葉には、性的な意味での「能力」というニュアンスも感じられます。

→ この諺の解説



S'il pleut le jour de saint Médard,
il pleut quarante jours plus tard.

聖メダールの日(6月8日)に雨が降ると
その後40日間雨が降る

聖メダールは傘屋の守護聖人とされています。

傘屋の守護聖人、聖メダール

→ この諺の解説



Tant qu'il y a de la vie, il y a de l'espoir.

命あるかぎり希望がある

命あるかぎり希望がある

この絵葉書では後半が少し違っていて、次のように書かれています。

  • Tant qu'il y a de la vie, il y a une possibilité de bonheur.
    命あるかぎり、幸せの可能性がある。

この諺に含まれる、希望、励まし、楽観主義などがよく表現された写真です。

  • これはベルギーの絵葉書で、裏面に Houtland (フランドル地方の一地域)と書かれているので、そのあたりの風景のようです。

→ この諺の解説



Tant va la cruche à l'eau qu'à la fin elle se casse.

壺を何度も水汲みに持って行くと、ついには割れる

この諺の絵葉書では、ほとんどすべて、女の子が壺を割るという絵が描かれています。

もちろん、井戸に水を汲みにいくのは女の仕事で、絵葉書では可愛らしく見せるために子供が描かれることが多い、という事情もあります。

しかし、それだけでしょうか。

壺を何度も水汲みに持って行くと、ついには割れる

壺を何度も水汲みに持って行くと、ついには割れる

壺を何度も水汲みに持って行くと、ついには割れる

壺を何度も水汲みに持って行くと、ついには割れる

なぜ女の子ばかりが描かれるかというと、「壺」は精神分析学的には「子宮」を意味し、「壺を割る」というのは「処女を失う」ことを意味するからだと思われます。

  • この諺に含まれる性的なイメージについては、この諺の解説の【壺が割れる比喩】と【壺が満たされる比喩】の項目を参照。

次の絵葉書では、壺が割れる代わりに、ワンピースが破けてしまった図が描かれています。

壺を何度も水汲みに持って行くと、ついには割れる

戸棚の中にあった果物を盗み食いしようとしたようです。

→ この諺の解説



Tel est pris qui croyait prendre.

つかまえると思っていた者がつかまえられる

つかまえると思っていた者がつかまえられる

「釣った」と思ったら、逆に釣られてしまったようです。

つかまえると思っていた者がつかまえられる

写真を「撮った」と思ったら、後ろから撮られていました。
ここでは prendre は「(写真を)撮る」という意味に解釈されています。

1947年頃の絵葉書です。カメラがずいぶん昔の形です。



つかまえると思っていた者がつかまえられる

指輪をはめてお嫁さんをゲットしたと思ったら、逆に鼻輪をはめてゲットされていた、ということでしょうか。

  • 右側の絵で、鼻輪をつけられた新婦の後ろに立っているのは、教会のスイス人衛兵 (suisse d'église) で、ナポレオンと同じ二角帽 (bicorne) をかぶり、アルバルド (hallebarde) と呼ばれる斧槍(おのやり、英 halberd ハルバード)を持っています。教会での結婚式の脇役です。

→ この諺の解説



Tel maître, tel valet.

この主人にしてこの召使いあり

この主人にしてこの召使いあり

これはアンリ・ジェルボー(Henry Gerbault, 1863-1930)という人が描いたもので、グランヴィルの挿絵をお手本にしていると思われます。

  • グランヴィルの『100の諺』の挿絵のいくつかは、そのまま絵葉書(Benneton Editeur 発行)に転載されており、またグランヴィルの挿絵とまったく同じでなくても、それに触発されたと思われる構図・発想の絵葉書やクロモがかなり存在しており、グランヴィルは絵葉書の世界にも大きな影響を与えていることがわかります。
    これは前出のL'occasion fait le larron.と同じシリーズの「クロモ」です。

→ この諺の解説



Tel père, tel fils.

この父にしてこの子あり

この諺は、いい意味でも悪い意味でも使われます。

この父にしてこの子あり

ほほえましい光景です。
この使い方だと、どちらかというとプラスのイメージが強く出ています。

  • Jean Bellus (1911-1967) というイラストレーターが描いた絵です。



この父にしてこの子あり

このページでも何度か出てきた、第一次世界大戦でフランスの敵国だったドイツの皇帝ヴィルヘルム 2 世とその息子を戯画(カリカチュア)化したものです。

この使い方だと、マイナスのイメージが強く出ています。

→ この諺の解説



Tête de fou ne blanchit jamais.

馬鹿は白髪にならない

次の絵葉書は、現代のイラストレーターがこの諺を題材に描いたものです。

馬鹿は白髪にならない

年齢・性別がわかりにくい絵ですが、ずいぶんカラフルに髪を染めて、楽しそうです。

「私は馬鹿だから白くならないの。」と、開き直って笑っているようにも見えます。

→ この諺の解説



Tout ce qui brille n'est pas or.

光るもの必ずしも金ならず

この諺は、むしろ「人」について使われることが多いようです。

光るもの必ずしも金ならず

靴を「ぴかぴか」に磨かせて偉そうにしている人が、中身も偉いかどうかはわからい、という意味のようです。

「靴を磨かせている人」とこの諺を結びつけるのは、19世紀のグランヴィルの挿絵の影響だと思われます。



光るもの必ずしも金ならず

今度は鼻が「ぴかぴか」ですが、この絵葉書はあまり深い意味はなさそうです。

→ この諺の解説



Un homme averti en vaut deux.

忠告を得た人は二人に値する

忠告を得た人は二人に値する

左の絵→上の絵→右の絵でストーリーになっています。

左の絵は、おそらく独身の頃で、「食器を洗ってくれる人がいればなあ」と思っていたのでしょう。

上の絵では結婚式を挙げています。

  • 上の絵の左端に描かれているのは、教会のスイス人衛兵です(前出のTel est pris qui croyait prendre.の3枚目の絵葉書の解説を参照)。

右の絵は結婚後の「現実」で、妻が楽しそうに煙草をふかしているのを尻目に、2人分の食器を洗うはめになっています。

「あんなに家事をしない女だということが事前に(=結婚する前に)わかっていたらなあ」と、夫は後悔しながら、苦々しくこの諺を噛みしめているようです。

→ この諺の解説



Un malheur ne vient jamais seul.

不幸は決して単独ではやって来ない

この諺は、同じ意味の動詞を使って、

  • Un malheur n'arrive jamais seul.

とも言います。これをもじって、次の絵葉書では、

  • Un bonheur n'arrive jamais seul !
    幸福は決して単独ではやって来ない!

と書かれています。

幸福は決して単独ではやって来ない

下には、「今すぐ国営宝くじの券をお買いください」と書かれています。

宝くじの宣伝を兼ねた絵葉書です。

→ この諺の解説



Un sou est un sou.

1スーは1スーだ

1スーは1スーだ

絵文字入りで次のように書かれています。

  • En Auvergne
    un sou c'est un sou
    un chou c'est un chou
    オーヴェルニュでは、
    1スーは1スーだ。
    キャベツ1個はキャベツ1個だ。

sou (スー)と chou (キャベツ)の発音が似ていることによる駄洒落です。

少し言葉を補うなら、「『1スーは1スーだ』という諺があるけれども、オーヴェルニュでは『キャベツ1個はキャベツ1個だ』と言うんだ」と言いたいのでしょう。

オーヴェルニュ地方はフランスの真ん中(やや南寄り)にあり、ほとんど見るべき観光名所もなく、「ど田舎」というイメージがあると言えるかもしれません。

この絵葉書を見ると、1スー硬貨が5円玉の形をしていたのがわかります。

  • ちなみに、絵葉書のページで取り上げた古い絵葉書には「5c」と書かれた緑色の切手が貼られたものがいくつかありますが、これはSemeuse(種まく女)を題材にした5サンチーム(すなわち1スー)の切手です。参考:phil-ouest

→ この諺の解説



Un tiens vaut mieux que deux tu l'auras.

2つの「いまに手に入るよ」よりも、1つの「はいどうぞ」のほうがいい

「あとで2つあげると約束されるよりも、実際に今1つもらっておいたほうがいい」という意味です。

2つの「いまに手に入るよ」よりも、1つの「はいどうぞ」のほうがいい

女の子が Tiens. (はいどうぞ)と言って、今お菓子をあげています。

あとで2つあげると約束されるよりもいいに決まっています。



あるいは、一般に、「不確実な2つのものよりも、確実な1つのもののほうがいい」という意味で、「明日の百より今日の五十」に相当します。

明日の百より今日の五十

木の上に鳥が 2 羽とまっていますが、うまく仕留められるかどうかわかりません。

今、手に持っている 1 羽の鳥のほうがいいに決まっています。

  • 未使用の絵葉書なので正確な年代は不明ですが、同じ Proverbes en Images (絵に描いたことわざ)シリーズの絵葉書で1905年の消印がついたものがあるので、その頃のものだと思われます。

→ この諺の解説



Un train peut en cacher un autre.

ある列車は他の列車を隠していることがある
(気をつけろ列車のあとにまた列車)


気をつけろ列車のあとにまた列車

次のように書かれています(小文字に直して引用)。

  • Ne traversez pas sans regarder dans les deux directions.
    両方向を見ずに横断してはなりません。

これは、昔、踏切に設置されていたフランス国鉄の看板をそのまま複製した絵葉書です(上下に看板を取り付けるための穴が開いています)。
ある鉄道マニアの情報によると、この看板は 1960 年以前のもののようです。フランスでは蒸気機関車は 1950 年代まで走っていたそうなので、その頃の看板ではないかと推測されます。

→ この諺の解説



Un verre, ça va, trois verres, bonjour les dégâts.

1杯なら大丈夫でも、3杯飲めば大惨事

1杯なら大丈夫でも、3杯飲めば大惨事

酔った人が手に持っているのは、駐車料金を入れる「パーキングメーター」です。

自分が壊したことすら理解できないようで、左下には次のように書かれています。

  • je mets ma petite pièce!..
    小銭を入れるよ!

「小銭を入れれば済むものではないだろう」、と警官は思っているようです。



次の絵葉書も同じシリーズです。

1杯なら大丈夫でも、3杯飲めば大惨事

左下には次のように書かれています。

  • j'peux pas mettre ma pièce, le parcmètre bouge!..
    小銭を入れられないなあ、パーキングメーターが動くから!
    「j'peux pas」は je ne peux pas を略した会話での形。



次の絵葉書は、内容的にはあまりこの諺とは関係なさそうです。

1杯なら大丈夫でも、3杯飲めば大惨事

生後まもない仔猫がグラス(verre)の中に入っています。
ça va(大丈夫)というのが、かえって仔猫の危なっかしさを印象づけています。

諺の最初の部分だけを、しかもあまり関係ない文脈で引用するというのは、この諺が広く知られている証拠です。

→ この諺の解説



Ventre affamé n'a point d'oreilles.

空腹は耳を持たない

この諺は、古代ローマの執政官だった大カトー(紀元前234-149年)が演説で語った言葉だと伝えられています。

次の一枚はチョコレートメーカーの「クロモ」で、左下にこの諺が書かれています。

空腹は耳を持たない

諺の右下にフランス語で CATON l'ancien (大カトー)と書かれています。

裏面の解説によると、演説が民衆に受け入れられず、あきらめて演壇から下りてくる様子が描かれています。

次の一枚はビスケットメーカーの「クロモ」です。

空腹は耳を持たない

ストリート・ミュージシャン(musicien de rue)がチップをはずんでもらおうと一生懸命に(むきになって)演奏していますが、食べるのに夢中で聴く耳は持っていません。

上の二枚には、いずれも Ventre affamé n'a pas d'oreilles. と書かれています。

→ この諺の解説



Voir Naples et mourir.

ナポリを見てから死ね

もとはイタリア語の諺です。
次の観光用の絵葉書ではイタリア語で Vedi Napoli, e poi muori と書かれています。

ナポリを見てから死ね

→ この諺の解説

「ナポリ」の代わりに、他の街の名を入れることもできます。

例えば、スペインに近いピレネー地方に、Montcuq(モンキュック)という村があります。

この地方は方言の訛(なま)りが強く、Montcuq と書いて「モンキュック」と発音しますが、標準的なフランス人がこの綴りを見ると、事前の知識がなければ最後の q は発音せずに「モンキュ」と読みたくなります。
その場合、mon cul(私のお尻)と同じ発音になります。

このモンキュックという村は、1976年に放送されたテレビ番組で、この村にロケに行ったレポーターがわざと最後の q を抜かして発音し、次のように紹介しました。

  • 「本日は、テレビで初めてモンキュ(=私のお尻)をお見せすることができ、うれしく思っております」

これがフランス人に大受けし、この人口も少ない小さな村が一躍有名になったそうです。

次の絵葉書でも、この駄洒落が使われています。

モンキュックを見てから死ね

「モンキュック」の綴りの一部が絵文字になっており、「モンキュックを見て、喜びのあまり死ね」と書かれています。



⇒ フランスの諺の絵葉書 1 (A~H)
⇒ フランスの諺の絵葉書 2 (I~L)
⇒ フランスの諺の絵葉書 3 (M~P)
⇒ フランスの諺の絵葉書 4 (Q)
⇒ フランスの諺の絵葉書 5 (R~Z)















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