「北鎌フランス語講座 - ことわざ編」では、フランス語の諺の文法や単語の意味、歴史的由来などを詳しく解説します。

暦・季節のディクトン

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⇒ En avril, ne te découvre pas d'un fil ; en mai fais ce qu'il te plaît.
⇒ S'il pleut le jour de saint Médard, il pleut quarante jours plus tard.
⇒ À la Sainte-Luce, les jours croissent du saut d'une puce.
⇒ Noël au balcon, Pâques au tison.
⇒ Pâques longtemps désirées sont en un jour tôt passées.
⇒ その他の暦・季節のディクトン

その他、「ディクトンのフェーヴ」では、各月の代表的なディクトンを取り上げています。

En avril, ne te découvre pas d'un fil ;
en mai fais ce qu'il te plaît.

【逐語訳】 「4 月には糸一本脱ぐな。 5 月には好きなようにしろ」

【諺の意味】 4 月はまだ急に寒さが戻ることがあるから、薄着にするな。
(文字通りの意味です)

意味・使い方は単純ですが、文法的に完全に説明しようとすると少々厄介です。

【単語の意味と文法】 「En」は前置詞で、西暦・四季(春を除く)・月などの前につけて「時」を表し、「~に」という意味です。通常、前置詞 en の後ろは無冠詞になります。「avril」は「4 月」。
「découvre」は、couvrir と同じ活用をする他動詞 découvrir (発見する、露わにする)の tu に対する命令形。末尾が -vrir で終わる動詞なので、現在形の tu の活用(découvres)の末尾の s が脱落しています。
命令文なので主語はありませんが、意味的には tu が主語なので、「te」は再帰代名詞 (se の変化した形)です。
se découvrir は直訳すると「自分を発見する、自分を露わにする」で、これが自動詞的な意味に変換されて「発見される、露わになる」という意味になりますが、辞書を引くと「(衣服を)脱ぐ」という意味も載っています。
否定の ne... pas に挟まれているので、これは否定命令文であり、禁止の意味になり、「ne te découvre pas」で「脱ぐな」となります。

その後ろの「d'」つまり de は、辞書で de を引くと、よく見ると「数量・程度」などと書かれた項目に「~(の分)だけ」という意味が記載されているはずです(この de は、他の諺でも蚤が跳ぶ分「だけ」というようにして使われています)。
「fil」は男性名詞で「糸」。その前に un がついているので、「un fil」で「一本の糸」。
直訳すると「一本の糸だけ(も)脱ぐな」。つまり「糸一本脱ぐな」という感じです。

その後ろの「 ; 」は、ピリオドとコンマの中間ぐらいの切れ具合を示します。日本語だと、大体「。」に相当します。
「en」はさきほど出てきた前置詞。「mai」は「5 月」。「fais」は他動詞 faire (する)の現在(2人称単数)と同じ形ですが、ここも命令形です。
「ce qu'il te plaît」の「qu'」は関係代名詞の que 。その前の「ce」は、先行詞になると「...なもの」「...なこと」という意味になります。

「plaît」は plaire (気に入る)の現在(3人称単数)。この動詞は、基本的に「物」や「事柄」が主語になり、前置詞 à と一緒に使用して、

  plaire à ~ 「~に(とって)気に入る」

という使い方をします。「~」の部分に「人」がきます。この「人」の部分にくる具体的な名詞が代名詞に置き換わると、「前置詞 à + 人」は間接目的一語になり、 à は消えるので、ここも à は消えて間接目的の「te (君に、君にとって)」一語になっています。

さらに、非人称の il仮主語の il )を使うと、次のような使い方をします。

  Il plaît à ~ de + inf. 「~することが~に(とって)気に入る」

「il」が仮主語で、「de + inf. (~することが)」が意味上の主語です。
この諺も、正確には次のようになっていたと考えられます。

  fais ce qu'il te plaît de faire (することが君にとって気に入ることをしろ)

前に同じ動詞(fais)が出てくるので、「de faire (することが)」は省略されたと考えられます(この「de + 不定詞の省略」については、残念ながら『ロワイヤル仏和中辞典』では言及がなく、『プログレッシブ仏和辞典』の plaire の 3 の項目や、『新フランス文法辞典』 p.390 に記載されています)。
そもそも関係代名詞 que は、先行詞が(関係詞節内の動詞の意味上の)直接目的のときに使いますが、ここは de faire を補わないと、先行詞 ce が何の直接目的なのか、説明がつかなくなってしまいます。

以上、後半部分を一番逐語訳に近づけると、「5 月には(することが)君にとって気に入ることをしろ」となります。

【他のバージョン】 前半部分は、次のように言う場合もあります。

この「n'ôte pas un fil」のバージョンのほうが古くから存在するようですが(次のユゴーの用例を参照)、現在は表題の形のほうが使われる頻度は高いようです。

【由来】民間伝承に由来するようなので、正確な起源は不明ですが、文献に登場するようになったのは比較的最近のようです。
その中でも古い用例としては、19 世紀の文豪ヴィクトル・ユゴーの小説『笑う男』(1869) 第 6 巻 II に、「こういう諺がある」という前置きのあとで、「On est en avril, n'ôte pas un fil. (今は 4 月だ、糸一本脱ぐな)」というせりふが出てきます。

アカデミーフランセーズ辞典』では、第 8 版(1932-1935)までは収録されておらず、最新の第 9 版(1992)になって初めて表題の形で収録され、「春の初めには、つねに寒さが戻る可能性がある」という意味だと書かれています。

【図版】 この諺を題材にした絵葉書があります。

S'il pleut le jour de saint Médard,
il pleut quarante jours plus tard.

【逐語訳】 聖メダールの日(6月8日)に雨が降ると
その後40日間雨が降る。

  • 通常の語法では「40日後」となりますが、この諺に関しては内容的に「40日間」と取るのが伝統的な解釈です(後述)。

【解説】 6月8日に雨が降ると、7月18日まで雨が続く、という意味です。

日本の梅雨を思わせる諺です。フランスには梅雨はないと言われることもありますが、北仏では雨が降り続くことも多いようです。

なぜ「6月8日」かというと、1582年にユリウス暦からグレゴリオ暦に切り替わる以前は、「聖メダールの日」は6月20日、すなわち夏至の前日に当たり、この日がそれ以後の天気を占う重要な節目の日と考えられたからのようですQuitard (1842), p.531 ; Bidault de l'Isle (1952), I, p.436による)

「聖メダール」と「雨」は密接に結びつけてイメージされていたため、グレゴリオ暦に変わって暦がずれてからも、このディクトンがそのまま語り継がれられたと考えられます。

雨が続くと作物(特に小麦)の生長に悪影響が出るとされ、昔から農民はこの日の天候に注意を払っていたようです。

「40日間」降り続くというのは、ノアの大洪水(旧約聖書『創世記』第7章)で雨が40日間降り続いたことを踏まえているとも考えられます(Cf. Quitard, op.cit., p.531)

  • よく知られているように、聖書では「40」という数字は「長い」ことの象徴で、例えばモーセは40年間荒野をさまよい、イエスは40日間断食したとされています。とすると、「40日間」というのは「長い間、ずっと」くらいの意味だとも考えられます。

【聖メダールの伝説】 聖メダールは5~6世紀に北仏ピカルディ地方の司教だった実在の人物で、たとえば次のような逸話が知られています。

  • ある日、聖メダールが大勢の人々と一緒に畑にいると、雲がないのに突然激しいにわか雨に襲われた。皆がびしょ濡れになったが、聖メダールだけは、頭上で一羽の鷲が大きな羽を広げて傘の役割を果たしてくれたために、まったく濡れなかった。
    Quitard, op.cit., p.531 による。『ブルーワー英語故事成語大辞典』(大修館) p.1113でも同じ話が語られています。

そのためか、聖メダールは傘屋の守護聖人ともされています(絵葉書のページを参照)。

また、聖メダールは昔から「雨を降らせる聖人」とされていたようで、1692年にルイ14世がベルギーのナミュールを攻略したとき、どしゃぶりの雨が降り続き、業を煮やした兵士たちは聖メダールに悪態をついて、聖メダールの肖像を集めて燃やしてしまったという話も伝わっていますPierron (2000), p.105)

【単語の意味と文法】 「S’」は接続詞 si (もし)の i が落ちてアポストロフになった形。
「il」は「非人称の il」
「pleut」は pleuvoir (雨が降る)の現在 3人称単数。
「jour」は男性名詞で「日」。
「saint Médard」は「聖メダール」。
昔から6月8日が聖メダールの日と決められています。

ちなみに、前半は次のように言う場合もあります。

後半の「quarante」は数詞で「40」。

通常、「期間 + plus tard」というと「~後に」という意味になります。
「quarante jours plus tard」なら「40日後」という意味になるはずです。しかし、このディクトンに関しては、内容的に「40日間」という意味だとするのが伝統的な解釈です。

【40日後か40日間か】 通常の語法からすれば「40日後」という意味になるので、フランス人でもそのように理解し、「6月8日に雨が降ると、その40日後にあたる7月18日にも雨が降る」という意味だと思っている人も少なくなくありません。
フランス人の間でも、どちらの意味に取るべきか、この諺が話題になるとよく議論になることがあるようです(Cf. l'internaute, « Vos avis » )

  • ちなみに、田辺先生はピノー(1957) p.92では「四十日たって」(つまり「40日後」の意味)と訳されていますが、田辺(1976) p.20 では「40日間」に訂正されています。

しかし伝統的には、内容的に「40日間」という意味だと解釈されています。

  • 例えば、19世紀のキタールは、「40日の雨」(une pluie de quarante jours)や「雨の40日」(quarante jours de pluie)という言葉を使い、40日間降り続いたノアの大洪水を引き合いに出していますQuitard, op.cit., p.530-532)
  • 20世紀のビドー・ド・リールも、「この諺は(...)たしかに少し謎めいている」とした上で、この諺は「聖メダールの日から40日間雨が降り続くという意味なのだろうか、または40日後にだけ雨が降るという意味なのだろうか。通常は、前者の解釈がとられている」と述べていますBidault de l'Isle, op.cit., I, p.432-433。ただし、この箇所の日本語訳 p.344 は曖昧ないし不正確)
  • ロレーヌ地方のディクトンを解説したヴァルチエの本でも、当然のように「40日間」(pendant quarante jours)という解釈しか取られていませんVartier (1985), p.217)

これに関連する他のディクトンを見ても、農民の間ではこの諺が「40日間」の意味に受け止められていたと理解するのが自然です(下記参照)。

  • もともとディクトンは、基本的に田舎の方言で表現され、標準語からは多少ずれる場合があることに加え、ディクトンにとっては脚韻が非常に重要な要素なので、ここでは「Médard」(メダール)と脚韻を踏むために「plus tard」(プリュ タール)という言葉が使われているのだと思われます。それで、通常なら「40日後」という意味になるべきところ、少し無理がありますが「40日間」という意味に取らせているのだと思われます。

【不謹慎なバージョン】 聖人に向かって少し不謹慎ですが、雨を聖メダールの小便に見立てて、次のように言うこともあります。

  • Saint Médard, grand pissard,
    Fait pleuvoir quarante jours plus tard.
    聖メダールは、長々とおしっこをする人で、
    40日間雨を降らせる。
    Bidault de l'Isle, op.cit., I, p.432に記載。こちらのほうが「Médard」、「pissard」、「tard」と、3つも韻を踏んでいます。「pissard」は聖メダールの枕詞のように使われる言葉ですが、俗語 pisser (おしっこをする)から派生していることは明らかです。ただし、日本語訳 p.344では「pissard」が picard と同様に「ピカルディ人」と訳され、面白味が消えています。「Fait」は使役動詞

【このディクトンの続き】 実際には、6月8日に雨が降ったからといって、必ずしも40日間降り続くとは限らないことも多いようです。

だからかどうかわかりませんが、この2行のあとに、他の聖人が聖メダールの邪魔をすると雨がやむ、といった意味の言葉を続け、合計4行のディクトンに仕立てることもあります。例えば、次のように続けます。

  • A moins que saint Barnabé
    ne lui casse le nez !
    聖バルナベ(6月11日)が
    彼の鼻をへし折らない限りは。
    「à moins qui...」は熟語で「...しない限りは」。「ne」は「虚辞の ne」
    「Barnabé」と「nez」が脚韻を踏んでいます。

農民の間で語り伝えられている諺なので、少々荒っぽい言葉で表現されていますが、聖バルナベが聖メダールの鼻を(殴って)へし折り、雨を降らせるのを(あるいは小便するのを)妨害すれば、雨がやむ、というわけです。

  • 「鼻をへし折らない限りは」の代わりに、「横槍を入れない限りは」、「やってきて止めない限りは」など、いろいろなバリエーションが存在します。

しかし、聖バルナベも雨を止められなかった場合はどうなるかというと、

  • Et s'il pleut à la Saint-Barnabé,
    Ça repousse jusqu'à la Saint-Gervais
    Qui ferme le robinet.
    もし聖バルナベの日(6月11日)に雨が降ったら
    聖ジェルヴェの日(6月19日)までお預けだ、
    聖ジェルヴェが蛇口を閉める。
    Pierron, op.cit., p.105による。

それまでは、蛇口が開きっぱなしになったように雨(=聖メダールの小便)が降り続く、というわけです。

こうしたディクトンでは、聖人は単なる「お飾り」ではなく、「風の吹き方や雲のゆくえについて、地上で神の意向に添うようにする役割を担った、天の代弁者」として、なまなましくイメージされていたのであり、「農民にとっては、ほかならぬ聖メダール本人が四十日間雨を降らせた」のだと、ヴァルチエは解説しています(Vartier, op.cit., p.259)。

À la Sainte-Luce,
les jours croissent du saut d'une puce.

【逐語訳】 「聖ルシアの日(12月13日)には、蚤(のみ)が跳ぶ分だけ日が長くなる」

【似た日本の諺】 「冬至を過ぎると、畳の目一つ分ずつ日が長くなる」

【科学的背景】 一年のうちで一番日が短くなるのは、いうまでもなく冬至(12月22日頃)なので、この諺は少しずれているように見えますが、これには少々わけがあります。

1582年、ユリウス暦(旧暦)に代わってグレゴリオ暦(新暦)が制定された時、1582年10月4日の翌日が10月15日となり、暦が10日間ずれました。
そのため、現在の冬至(12月22日頃)は1582年以前の12月13日に相当します。
この諺は1582年以前にできたので、「12月22日になると」ではなく「12月13日になると」という言い回しが残っているわけです。

ただし、現在使われているグレゴリオ暦でも、例えば東京の緯度の場合、日没時刻が最も早くなるのは11月29日頃~12月13日頃(16時28分)であり、12月13日を過ぎると少しずつ日没時刻が遅くなります。
(ただし同時に、日の出の時刻は12月13日を過ぎても遅くなり続けるので、トータルで見ると日照時間が一番短くなるのは12月22日頃です)。
そのため、実感としては12月13日を過ぎると日が長くなるように感じられます。
この諺も、「日没時刻が遅くなる」という意味に取れば、科学的にも正しいことになります。

なお、現在、毎年12月13日には北欧諸国を中心にルシア祭(ルチア祭)が祝われています。ルシア(ルチア)はラテン語で「光」を意味する lux が語源なので、いわば「光」の祝日でもあります。

【単語の意味と文法】 à の大文字 À は、アクサン・グラーヴを省略して A と書くこともあります。前置詞 à は、ここでは「時」を表し、「~に、~には」。

「la Sainte-Luce」は「聖ルシアの日」。
聖ルシア(聖ルチア)は、3世紀末にイタリアのシチリア島シラクサで殉教した女性で、「シラクサのルシア」(Lucie de Syracuse)とも呼ばれます。拷問によって目をえぐり出されたという伝説が伝わっており、眼病の人の信仰も集めているようです。

キリスト教では365日、毎日「この日は聖~の日」と決まっており、「聖ルシアの日」は12月13日に相当します。
どの日がどの聖人の日なのかは、フランスのカレンダーにはたいてい書いてあります(「聖人暦について」を参照)。

聖ルシアは女性ですが、女性だから「Sainte-Luce」の前に定冠詞 la がついているのではなく、もともと

  À la fête de Sainte-Luce (聖ルシアの祝日には)

という意味であり、「fête (祝日)」が女性名詞だからです(「fête de」の省略)。そのため、男性の聖人の前でも la をつけます。

「jour」は男性名詞で「日」。ここは複数形なので「日々」。
「croissent」は自動詞 croître (増える)の現在(3人称複数)。

「du」は前置詞 de と定冠詞 le の縮約形
この前置詞 de は「分量の de」です。

「saut」は男性名詞で「跳ぶこと、跳躍、ジャンプ」。
「puce」は女性名詞で「蚤(のみ)」。
「du saut d'une puce」で「一匹の蚤のジャンプの分(だけ)」。

以上、逐語訳すると、「聖ルシアの日には、一匹の蚤(のみ)が跳ぶ分だけ、日々が増える」となります。

「Luce」と「puce」が韻を踏み、語呂が良くなっています。

【古い用例】 1582年のグレゴリオ暦への変更前から存在します。
変更前:

変更後:

『プチ・ラルース 2013』の「ピンクのページ」にも収録されている、かなり有名な諺です。

Noël au balcon,
Pâques au tison.

【逐語訳】 「クリスマスはバルコニーで、復活祭は暖炉で」

【諺の意味】 「寒いはずのクリスマスが時ならぬ暖かさだと、暖かいはずの復活祭は時ならぬ寒さとなる」。
一般に、「冬が暖かいと春先は寒い」。

イエス・キリストが生まれた日を祝う「クリスマス」と、復活した日を祝う「復活祭」を対比させたディクトンです。

【単語の意味と文法】 「Noël」は男性名詞で「クリスマス」。無冠詞・大文字で使います。
「au」は前置詞 à と定冠詞 le の縮約形

「balcon」は男性名詞で「(建物の)バルコニー、ベランダ」。植木鉢ぐらいしか置けない狭いものから、レストランのテラス席のように椅子とテーブルを置ける広いものまでありますが、ここでは日光を浴びながらくつろげる場所というイメージのようです。

「Pâques」は女性名詞で「復活祭」。キリスト教では複数形のみで使用し、やはり大文字・無冠詞にします。
復活祭は、「春分の日のあとの最初の満月の次の日曜日」に行われる、月の満ち欠けによって変動する「移動祝日」で、3月22日~4月25日の間になります。
季節の感覚としては、「春先」に行われる、春を告げるお祭です。
2013 年は 3 月 31 日(日曜)に行われます。

「tison」は男性名詞で「燠(おき)」(暖炉にくべた薪などの燃えさし)。比喩的に「暖炉」の意味にもなります。
「暖炉」という意味の場合は、現代では普通は複数形にするので、次のように書くこともあります(発音は同じ)。

  • Noël au balcon, Pâques aux tisons.

なお、諺なのでこうした簡略な形になっていますが、クリスマス「には」、復活祭「には」というときは、本来なら時を表す前置詞 à が必要です。
そのため、昔は次のように言うこともあったようです(Le Roux de Lincy (1842), t.1, p.72 による)。

【由来】 昔からあったらしく、1640 年のウーダン『フランス奇言集』には次の形で収録されています。

  • à Noël au perron, à Pâques au tison.
    クリスマスは正面階段で、復活祭は暖炉で。
    perron とは、建物外部の正面に設けられた、高くなった玄関に通じる(数段の)石造りの階段のことで、玄関のドアの直前(最上段)は壇のように少し広めのスペースになっています。ここに立ってしばらく外などを見渡していられる、という意味かと思われます。
    このウーダンの本には、「この諺は、クリスマスに暖かいときに言う。ここから、復活祭には寒くなるという結論を引き出すために。」と書かれています(初版 p.398)。

【余談】 2012 年のクリスマスは例外的に暖かく、天気予報でも次のように言われていました(出典:meteo-paris)。

  • Noël 2012 au balcon !
    2012 年のクリスマスはバルコニーで!

要するに「2012 年のクリスマスは暖かくなります!」という意味です。

ただし、全体的にはヨーロッパでは厳冬傾向が続いており、2013 年の復活祭となる 3 月 31 日(日曜)も、パリでは朝は氷点下、昼間も気温 1 桁の寒さになるようです。

とすると、2012~2013 年については、この諺どおりだと言えそうです。

ちなみに日本だと、ますまず気候は順当で、この諺とは逆に、

  • Noël au tison, Pâques au balcon.
    クリスマスは暖炉で、復活祭はバルコニーで。
    (=冬は寒く、春先は暖かい)

となりそうです。もっとも、北国ではまだ寒さが厳しく、

  • Noël au tison, Pâques au tison.
    クリスマスは暖炉で、復活祭も暖炉で。
    (=冬は寒く、春先も寒い)

のようです。しかし、いずれ地球温暖化で、

  • Noël au balcon, Pâques au balcon.
    クリスマスはバルコニーで、復活祭もバルコニーで。
    (=冬は暖かく、春先も暖かい)

となるかもしれません。

...というように、その年の気候にあわせて、この諺は簡単にもじって使うことができます。

Pâques longtemps désirées sont en un jour tôt passées.

【逐語訳】 「待ちに待った復活祭も、一日であっというまに過ぎてしまう」

【背景】 この諺は 13~14 世紀頃から確認されますが、当時は1年の始まりは1月1日ではなく復活祭だったらしいので、当時の感覚では、いわば

  「待ちに待った正月も、一日であっという間に過ぎてしまう」

という感じだったかもしれません。

【単語の意味と文法】 「Pâques」は女性名詞で「復活祭」。
キリスト教では複数形のみで使用し、大文字・無冠詞にします(ユダヤ教の「過越(すぎこし)の祭」の意味のときは単数形)。
「longtemps」は副詞で「長い間」。

「désirées」は désirer (望む、希望する)の過去分詞 désiré に(性数の一致によって、女性複数の「Pâques」にあわせて) es がついた形。「望まれた、希望された」という受身的な意味で「Pâques」(復活祭)に係ります。
「Pâques longtemps désirées」で直訳すると「長い間望まれた復活祭」。ここでは「待ちに待った復活祭」としておきます。

「sont」は être (~である)の現在 3人称複数。
「en」は前置詞で「~のうちに」。
「jour」は男性名詞で「日」。
「en un jour」で「一日のうちに、一日で」。
「tôt」は副詞で、普通は「〔時期が〕早く」という意味ですが、ここでは「すぐに、あっというまに」。
「passées」は自動詞 passer (〔時が〕過ぎる)の過去分詞 passé に(過去分詞の性数の一致によって、女性複数の「Pâques」にあわせて) es がついた形。
この passer は、いわゆる「場所の移動・状態の変化」を表す自動詞です。
「sont」+「passées」で être + p.p. で複合過去

初級文法ではあまり習いませんが、複合過去というのは、英語の現在完了と似たような形になるのでわかるように、実を言うと「過去」ではなく「完了」であり、必ずしも過去とは限らず、未来完了なども含まれます(Cf. 朝倉 p.374)。ここでは、「過ぎた」というよりも「過ぎてしまう」という感じに近いといえます。

【異形】 「longtemps」の前に de を入れることもあります。

  • Pâques, de longtemps désirées, sont en un jour tôt passées.
    「de longtemps」で「ずっと前から」という熟語。

【由来】 13世紀末~14世紀初頭の諺集に、次のような形で収録されています(Morawski, N°1604 による)。

  • Pasques desirrees sont en un jor alees.
    待ち望まれた復活祭は、一日で過ぎてしまう。
    現代の綴りに直すと、Pâques désirées sont en un jour allées. (Maloux (2009), p.414で引用)。

その他、以下のものに収録されています。

これ以降は、仏仏辞典を含め、あまり文献では確認されないようですが、口承で伝えられるディクトンとはそういうものかもしれません。

その他の暦・季節のディクトン

Quand mars fait avril,
Avril fait mars.

3 月が 4 月のようなときは、
4 月が 3 月のようになる。

【文法と単語の意味】 「Quand...」は接続詞で「...とき」。
「mars」は「3 月」。例外的に末尾の s も発音します(マルス)。
3 月に限らず、月の名は英語では大文字で書きますが、フランス語では小文字で書くのが原則です。
「fait」は faire (する、行う)の現在 3人称単数。
ここでは、「~のようである」という意味です。例えば『ロワイヤル仏和中辞典』だと、faire の他動詞の黒丸の 8 「(態度・外観を)見せる、呈する」の d) 「...に見える、...の様子をしている(* 目的語は無冠詞名詞)」に該当します。
「avril」は「4 月」。
2 行目の冒頭では大文字になっていますが、これは詩では各行の最初を大文字にするからです。
もちろん、これは厳密には詩ではありませんが、ディクトンは(普通は 2 行で構成される)詩のようなもので、多くの場合、各行の末尾は韻(脚韻)を踏みます。

このディクトンは脚韻こそ踏んでいませんが、同じ単語の反復によって、単なる脚韻以上にリズムがよくなっています。

Quand avril est froid et pluvieux,
Les moissons n'en vont que mieux.

4 月が寒くて雨が多ければ、
収穫は良くなる一方だ。

農作物にとって、4 月が寒くて雨が多いのは望ましいことだとされています。

【文法と単語の意味】 「Quand...」は接続詞で「...とき」。
「avril」は「4 月」。
「est」は être の現在 3人称単数。
「froid」は形容詞で「寒い」。
「pluvieux」は形容詞で「雨がちな、雨の多い」。

「moisson」は女性名詞で「収穫」。色々な種類の作物をイメージしているので複数形にしているのだと思われます。
「ne... que ~」は「~しか ...ない」
「en」は「de + 前の文脈全体」に代わる中性代名詞で「そのことによって」。
「vont」は aller (行く)の現在 3人称複数。ここでは aller は抽象的に「(物事が)進行する」というような意味。
「mieux」は、ここでは副詞 bien (良く)の比較級
aller mieux で「(病気や事態が)良くなる、好転する」という熟語。

一番直訳に近づけると、「4 月が寒くて雨が多いときは、そのことによって収穫は良くしかならない」。

「pluvieux」と「mieux」が韻を踏んでいます。

À la Saint-Georges,
Sème ton orge.
À la Saint-Marc,
Il est trop tard.

聖ジョルジュの日(4月23日)には
大麦を蒔け。
聖マルクの日(4月25日)では
遅すぎる。

【解説】 「Sème」は mener と同じ活用をする他動詞 semer (蒔く)の命令形。
「orge」は女性名詞で「大麦」。

「Saint-Marc」は、現代では「サンマルク」と発音します。しかし、「Georges」(ジョルジュ)と「orge」(オルジュ)が韻を踏んでいるように、もともとは「Marc」は「マルク」ではなく「マール」と発音し、これが「tard」(タール)と韻を踏んでいたはずです。
つまり、この諺は、「saint Marc」が「サンマルク」ではなく「サンマール」と発音されていた頃にできたか、またはそうした発音が方言として残った地域で生まれたのではないかと推測されます。

C'est aujourd'hui la Saint-Lambert.
Qui quitte sa place la perd.

今日は聖ランベールの日(9月17日)。
席を離れる者は席を失う。

【解説】 少し謎めいたことわざですが、この時期になると夏の農作業の大変な時期は終わっているので、日雇いで働く季節労働者は、いったん仕事をやめると二度と職にありつけなくなる、という意味に解釈できるようです(Bidault de l'Isle (1952), t.2, p.44 ; Pierron (2000), p.133)。

聖人の名で日付を表す、二要素からなる独特なリズムがある、韻を踏むなどの点で、形の上では典型的なディクトン です。

このディクトンは、Qui va à la chasse perd sa place. (狩に行く者は席を失う) という諺と関連があると思われます。



「フランス語での聖人の書き方についての注意」は「聖人暦について」のページに移動しました。




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